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「夜の魚」一部 vol.90

 
 
 
■ すぐに暗くなった。
 私は指定された駅のロッカーから防磁ケースに入ったフロッピーを一枚持って部屋に戻った。
 金属のロッカーに小さなケースがひとつだけという眺めは空虚である。
 拳銃があるかとも思ったが処分したのだろう。
 機械に入れ中身をみようとする。ただの数字の羅列でしかない。
 標準形式のデーターであることは確かだが、意味のあるものにするには、何等かのプログラムを一度通す必要があるのだろう。
 複写する。同じものを二枚作った。一枚を封筒に入れ晃子宛とした。
 警察にも、と考えたが余計なことだと思い直した。
 それから押し入れを捜し、古い皮のジャンパーを取り出した。ナイロンのザックにいくつかのものを詰め、外に出た。
 
 坂道を下り細い路地に入る。車の入らない舗装されていない一角があって、突き当たりには二匹の石の狐が細い眼でこちらを向いている。鳥居の跡だ。
 その横に廃屋があって、そこは何年か前地上げされたまま放置されている。その一階を私は借りていた。
 南京錠の番号を廻し、引き戸を開けて中に入る。
 シートを剥がし一台の単車を引き出した。
 車検は切れているが、月に一度ここへきてエンジンに火を入れている。
 六九年式のカワサキのW1Sを改造したものだ。
 通称ダブワンというバイクである。タンクを古いTシャツで磨いた。ヘルメットをハンドルに掛け、路地を押してゆく。
 既にして冬の夜になっている。コンクリの壁、オーバーパスになっているところまでゆくと、サイド・スタンドをかけキャブレターの脇についているティクラーを何度か押した。ガソリンがキャブの下にあるホースから流れ出す。冷えている時はオーバーフローさせねばかからないのだ。
 
 流れるガソリンをみていると思い付くことがあった。すこし歩き、酒屋の脇に積んであるビールの瓶を二本盗んだ。ザックに入れる。
 キーを捻る。バッテリーは生きている。大振りのハンドル、スロットルの脇についているチョーク・レバーを一杯に引き、W1Sにまたがった。
 左脚に重心をかけ、右足でキック・ペダルを探る。一、二度感触を確かめてからピストンの位置を調節した。
 右足に体重をかけ、一気に踏み降ろす。
 
 マックス・ローチのドラムのような音がして、六五○CC直立二気筒エンジンに火が入った。

「夜の魚」一部 vol.89

 
    二二 圧縮
 
 
 
■ 私は自分の部屋に戻った。薄い埃の匂いがした。
 ベットの下のファックスがなにかを掃き出していた。
「今晩九時、本牧C突堤」
 夜のうちに北沢が入れたのだろう。ご丁寧にゴシック体である。
 おかしな予感があり階段を降りた。郵便受けの中を捜してみる。手でかき回すと、上の部分にガムテープが貼ってある。鍵とメモがあった。鍵はロッカーのもののようだ。
 メモの指示に従い、大手新聞社のパソコンネットにアクセスをする。
 私あてにメールが来ている。葉子からだ。
 日付は大晦日になっている。葉子が何故私のIDを知っているのか不思議だった。いつぞや、メールで原稿を送っているのを記憶していたのだろうか。メールは圧縮されていた。展開して読む。
 暫くの間、誰かにつけられていることを葉子は自覚していた。
 北沢に拉致されるのも時間の問題だと思っていたようだ。
 
「言わなければならないことがあります」
 それに続く内容はある意味で予感していたことでもあった。
 CPPの武装組織、NPAと呼ばれる新人民軍に所属する特定の小集団が、国際的なテロリスト集団のいくつかと連携し、日本に覚醒剤の密輸を行なっていた。
 武器の調達資金獲得のためである。都市部において要人暗殺などのテロ行為に関わってきた、「スパロー・ユニット(スズメ部隊)」と呼ばれる小部隊のひとつが母胎となり、近年弱体化しているといわれる本部の指揮下を離れ、密かに独自行動に移っているという。南米などにおいて、ゲリラの一部が、覚醒剤によって豊富な資金を得ていることに倣うつもりらしい。
 その覚醒剤のほとんどは中国とロシア製で、通称「ブラック・スター」と呼ばれる中国製トカレフの搬入はそれに付随した仕事にすぎない。
 国内での密売の元締めは北沢とされた。背後には組織がある。彼は香港を拠点にいくつかのテロリスト集団と連絡を取りながら活動を続けていた。
 
「わたしは北沢の女のひとりとして、その仕事を手伝っていました。その時のデーターをフロッピーに落として持ってきたのです」
 追われる理由はそれだったのだ。
「始めて横浜に泊まった時、車を借りて朝比奈峠にゆきました。北沢と会ったのです。撃とうと思ったけれど、駄目だった」
 私は煙草を何本も吸った。
 飴を嘗めている場合でもない。三本目で胃が痛くなった。
 胃の薬を捜し、台所の水でそれを飲んだ。古くなった鉄の味がする。
 メールの最後に書いてある言葉が気になる。
 五行程空白があり、「ありがとう」とある。