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「夜の魚」一部 vol.60

 
    十四 冬の動物園
 
 
 
■ 屋上の手前、病練の最上階に喫煙室があって、そこはガラス張りになっている。
 夜になると、遠くランドマークタワーの灯りがみえている。
 点滅している一本の帯は高速だろうか。何本かある。
 ガウンを着て煙草を吸っていると晃子が昇ってきた。
「お酒飲めなくてさみしいでしょ」
 私たちはビニールの椅子に座って汚れたガラスを眺めた。
 離れたところに老人が座っている。老人のようにもみえるが、実のところいくつなのだかわからない。病院の中で、そうした男や女を何人もみかけた。生気なく、口の中でなにかを呟きながら廊下をゆききしている。
 晃子は紫のスカートを履いていた。
 
「何十年かしたら、こうしてガラス越しに外を眺めているのかな」
「そんなに生きるつもりなの」
「どっちでもいいんだが」
 水の溜まった灰皿に煙草を捨て、晃子が笑う。
「でもねえ、あなた、どうしてこんなことに巻き込まれたの」
 外は風が強いようだ。ガラスに圧力がかかっている。
 私にもわからなかった。葉子という女を拾い、横浜で再会し、その時に寝た。トランクにトカレフがある。
 弾を買いにいったのは夏と秋のあいだで、新宿の外れの路地は油汗に香水を振りかけた匂いがした。肌色の違う女は髪を長くし、張り付いたスカートを履いて傍に立っていた。ボディ・スーツをつけなくても、僅かな肉の弛みしかない。
「悪い夢だったのかな」
「まだ、醒めていないようね」
 晃子の口調はすこしも変わらない。
 
「傷はふさがったのか」
「みる?」
「そのうちな、ぜひ」
 薄い桃色の制服を着た看護婦が昇ってきた。消灯だという。髪を上にあげピンでとめ、同じ色の帽子を被っている。
「あなた、ああゆうの好みでしょ」
 パジャマを着ていると、どうも言われやすいようだ。
 私は脇腹を撫でてみた。ガーゼの下で熱を持っている。

「夜の魚」一部 vol.59

 
 
 
■ 自分の部屋に戻ってコートを脱いだ。
 白いコートは汚れやすい。それが良いのだとも思う。
 病院の中で、吉川と話すことはなかった。
 喫煙室に彼はこなかったし、その時はまだ起きられなかったのだろう。
 私も吉川も、そう広くはない個室に入れられた。他が満員だったという訳でもない。払いをどうするんだと思ったが、どういう訳か保険で足りた。
 葉子と晃子が時々見舞いにきた。病室で、持ち込んだコーヒーの豆を入れて飲んだ。電気の器具があったのだ。
 看護婦は薄桃色の制服を着ている。ラインが二本入っている。
 向こうにみえている巨大な練がここでは本体で、そこは有料の老人ホームになっている。湯沢にあるリゾート・マンションを平たくしたようにもみえる。全財産を献金すると最後まで面倒をみてくれる仕組みになっているらしい。信者が中心であると言う。
「君もそうなのか」
 と、尋ねると、
「仕事だから」
 と若い看護婦は笑った。
 すこし安心するが、それがどうしてなのかはわからない。