Tag | 1.夜魚 1-10

「夜の魚」一部 vol.10

 
 
 
■ ニュウ・グランドのロースト・ビーフはそのものの色をしている。
 ほとんど味はなく、こうなのだと言われれば納得をしてしまう。
 内側が古くなった桃色で、一番端の部分は紫にも似ている。胡椒なのか、つぶつぶがみえている。
 運河沿いのホテルに私達は入ることができた。
 すり切れた絨毯が引いてある。昔は色がついていたのだろう。フロントで前金を払うと、広くて鈍いエレベーターに乗った。
「こっちは下士官のホテルなのよね」
 進駐軍がいた頃の話だ。
 一本運河を越えるとめっぽう格が落ちた。
 連れ込んだ女もそうだったのかはわからない。
 誰に聞いたのか、そんなことをよく知っているなと私は思った。
 
 雨の多い夏が過ぎてゆく。
 部屋は湿っていて、色の褪せた厚いカーテンが掛かっている。
 机のようなテレビがあって、チャンネルはダイアルを廻すようになっていた。上には埃と造花がある。
「ねようか」
 私は葉子の足首を眺めた。糞かき棒のようではなかった。いつかとは別人のようだ。
「いつも、おんなの人の前でおしっこをするの」
 堤防からする小便は片方で光っている。
 音がきこえるのだが、遠すぎて風のようでもある。

「夜の魚」一部 vol.9

 
     二 夏のはじめ
 
 
 
■ 葉子はニュウ・グランドホテルの回転ドアの前に立っていた。
 雨ではあるが、その上にはテントがあり、ところどころ切れた細かい電球が垂れ下がっている。平日の深夜、海岸通りにはほとんど人影がなかった。
 ドアの前で私は車から降りなかった。手を振って軽やかに立つことができたら、などと煙草を捜しながらすこし思った。
「かわらないわね」
 葉子はそう言って助手席に脚を揃える。
「こりないわね」
 と、呟いているようにきこえる。
 
 本牧の外れ、埠頭の引込線を越え、破れた鉄条網を足で踏むと堤防にでられる。
 昼の熱を保ち、粘るような海があって、運河を広くしただけのようにもみえている。
 向こうには時折炎が見え隠れし、その脇を通ったのかと思った。
「メンソールじゃないのね」
 私の煙草を一本くわえ、葉子は唇の端で火をつけた。
「妊娠してると、欲しくないんだよな」
 少年が呟いているようにきこえた。爪先を眺めると新しいヒールである。
 葉子は膝を肩よりもひらき、右手を海へ突き出した。
 手首を左手でつかんで胸の上まで持ち上げ、片目をつぶっている。
 狙いは、対岸の炎のようでもある。
 まだ撃たない。