二四 速度
■ 背の高い水銀灯がコンクリを照らしている。
触ればそのまま張り付くかのようなコンテナの鉄のことを思った。
その脇をゆっくりと走らせる。
すぐ脇に橋が見える。蒼白く空を遮っている。船の影はない。人影も、事務所の灯りも。
水路には反射した水が重さあるもののように腹をみせている。
ビルの高さ程もある自走式のクレーンの下を通った。
部屋ほどの広さのあるコンテナを釣り上げて貨物船に乗せるため、埋めこまれたクレーン用の浅い線路がコンクリを横切っている。
埠頭の中程を過ぎた。
突堤の外れ、車が停まっているのがみえた。
背の低い、屋根の丸い車だ。
二度、ライトが短くつく。
北沢だ。
はじめはゆっくり、それから思い付いたように車は加速した。
こちらに向かってくる。
ポルシェだ。
乾いたドライ・サンプの排気音が横切る。
銀色のようにも、青が混ざっているようにもみえる。
多分カレラ2だろう。北沢が4に乗るとも思えない。
サードでひっぱっている。シューンという音が遠ざかる。
私はブレーキをかけ、シフトダウンした。左足を軸に、単車の車体を寝かせアクセルを捻った。その場で小さくUターンする。脇腹の傷跡が伸びる。頭を低くして、回転を上げた。
小さなテールを追い、埠頭の入り口へ向かう。
片側三車線程ある埠頭の幅全てを使い、カレラは真横を向いた。
ポルシェでブレーキ・ターンをするところを私は見たことがなかった。乾いた路面でそれができるのだとは俄に信じがたい。重い尻が奇麗に流れている。
頭を二度振り、立て直し、こちらに向かって加速してくる。
短くクラクションを鳴らし、そうだ、奴は遊んでいるのだ。
「夜の魚」
「夜の魚」一部 vol.93
■ 生麦を過ぎた。製鉄所の煙突からガスの炎がでている。
車で通る時は気付かないが、はっきりと匂いがする。
車体の内側に躯を倒す形でコーナーを廻る。頬が引きつった。ガラスのゴーグルをしていても、風が直接当たるのだ。
S三○のZが先を走っている。
ワタナベのホイルに太いタイアを履き、マフラーも太い。
二八○○CCにはなっているだろう。懐かしいL型だ。
加速して並んだ。
一五○まで出した。
横浜駅の上で奴はシフト・ダウンする。
野太い排気音を巻き散らし、トンネルに下ってゆく。
いけるじゃないか。
私はなんとなく納得をしていた。これが最後になるのだ。
橋の方角に曲がらず、スタジアムで降りた。
中華街の自動販売機で缶を買い、ふたくち飲んだ。
倉庫の脇を過ぎ、本牧の港に近づく。
数年前まで埠頭には自由に入ることができた。
鉄の柵ができ、その前には守衛がいて夜になると閉鎖されてしまう。
私はB突堤から眺める夜の港が好きだった。
コンテナの上によじ登り、別れた女のことを考えたこともある。
朝になると、エンジンの塊のようなトレーラーが集まる。
奴等は直角のコーナーを僅かに逆ハンを切って曲がってくる。一万CCのディーゼルエンジンの加速は、並みのセダンではかなわなかった。
排気ブレーキを思い切り踏むと、女の背丈程あるタイアから白い煙が出ていた。
朝になると小さなトラックが来ていて、トレーラーのドライバー相手に朝飯を売っていた。その横に混ぜてもらいウドンをすすったこともある。
橋が出来る前だ。千葉から横浜が遠かった頃だ。
若い頃、私はただの馬鹿だった。
捨てきれないものが澱のように残っていて、それが何なのかよくわからない。
W1Sもそうだ。
程度の良いものを見つけ、あり金を叩いて数年前に買った。
十代の頃乗っていたからなのだが、私の肩にはまだ金属が入っている。六ヶ月病室の白い天井を眺めて過ごした。その後大学をやめた。
ゆっくりと単車を走らせる。
短い排気音が響いている。
C埠頭の重い鉄の柵は鍵が外れていた。車が入れるだけの隙間がある。
一度止まり、ザックから瓶を取り出してジャケットのポケットに入れた。
廻りを見渡し、埠頭の中に入った。