■「寒い夜ですね」
北沢が言う。
「ああ」
「オートバイとは御苦労なこと。それも懐かしいカワサキのW1じゃないですか。わたしもマッハとかZ1とか乗ってましてね」
「泣かせるだろ」
「まあね」
「ストーンズかなんか、かけろよ」
「泣くほどの馬鹿って訳ですね」
彼は唇を斜めに笑った。薄い唇から出る笑い声は成程そういうものであるのかと思われた。北沢と私とは同世代だ。同じような空気を吸い、同じような音楽を聴き、同じような化粧に喋り方をする女と付き合い、寝た。十代の頃は多分髪を伸ばしていただろう。何処でどう食い違うのか、果たして何処まで違っているのか。そもそも、そんなことを考えること自体理屈には合わない。
「フロッピー持って来ましたか」
「葉子は」
北沢が横を向いた。助手席のドアがゆっくり開き葉子が車から降りた。
顔色がみえない。トレンチのコートを羽織っている。
「暫く乗らないうちに、車も女も随分味が変わるもんですね。本牧の港みたいだ」
北沢は上着の胸に手を入れ、煙草を取り出して火をつける。
片手には黒い銃があった。
「夜の魚」
「夜の魚」一部 vol.95
■ 丸いライトがボディに埋め込まれる直前のカレラだった。
チューンしたとはいえ三十年近く前の単車がかなう訳もない。
そんなことは始めからわかっている。
私は銃を持たず、剥き出しの単車でここにきた。傷を負わせるつもりなら、幅寄せすれば簡単に出来るだろう。
速度というのはいつも幻想の部分を含んでいる。かといってそれを否定してしまうことは、割り切れない幾つものものを無かったことにしてしまう。
私はゆっくりとUターンした。
セカンドとサードで加速し、二気筒の排気音を楽しんだ。
突堤の一番端にポルシェは停まっている。後ろは黒い海だ。
声の届くところ、顔が辛うじて見えるところで止まりW1Sのスタンドを掛けた。エンジンを切る。
ポルシェのドアが開かれ、男が降りた。
背の高い、肩幅の広い男が北沢だ。
「よお」
声にならない笑いをどちらも浮かべている。