「夜の魚」

「夜の魚」一部 vol.22

 
 
 
■ 私達は口をきかなかった。
 そんな理不尽なことで狙われるのはまっぴらだった。
 細い道をいくつか越え、小さな駅の前に出た。不動産の看板が目立っている。
「ここでいいわ」
 葉子が車を降りた。泣いた後のような眼をしている。唇を噛んでいる。泣いた訳でもない。私は言われるまま葉子を降ろし、ガラガラ鳴る車をだらしなく東の方角にむけた。
 途中、自動販売機で短い缶を買い、一気に飲んだ。車に戻ってから思い出し、タオルでトカレフを拭い、丸く口をあけたプラスチックのゴミ箱に捨てようとしてとどまった。
 手首が痺れ、親指の付け根の皮が剥けている。
 私は部屋に戻って眠れなかった。
 単気筒の音がして、新聞がくる。カーテンが白くなって、床の埃が目立つ。葉子がかじっていた薬がその時は本当に欲しくなった。
 私は怯えているのだと思った。

「夜の魚」一部 vol.21

 
 
 
■ 坂の終点で料金を払い、暫く走って葉山の海岸に車を入れた。
 海自体は静かであり、軽い鉛のようにもみえた。葉子は煙草を欲しがった。二口ほど吸って溜息をつく。
「触ってみて」
 胸元から手を入れると油を塗ったように湿っている。
「いったいどうなってんだ」
 私たちは車を降りた。雲の影から月が出ていた。折れたのは安っぽいバンパーではなく、突き出したマフラーだった。くの字に曲がって垂れ下がっている。
「CPPっていうのがあるのよ」
「なんだって」
 フィリピン共産党を名乗る武装集団がある。
 もともとは一九三○年に創立されたフィリピン共産党、PKPに端を発する。PKP自体は非合法とされながらも当時の米軍ないしは日本軍に対し、ゲリラ活動で抵抗を続けていた。
 しかし、戦後のCIAによる弾圧の中で、PKP自体は旧ソ連にならい、マルコスとも手を繋ぎ国民の支持を失ってゆく。一九六八年、シソンを中心として新しいフィリピン共産党、CPPが再建される。毛沢東の誕生日、十二月二十六日のことだった。
 葉子はそこまでを一気に話した。
「習ったのか」
「調べたのよ」
「それがなんでランクルなんだ」
「CPPは日本にも入ってきてるの。CPPの武装組織がニュー・ピープルズ・アーミー、NPAというのよ」
「さっきのランクルがそうだっていうのか」
「そう、CPPは毛沢東思想に固まった暴力革命を至上とする組織なの」
「革命だって」
「そうよ」
 月が隠れ、私には葉子が遅れてきた紅衛兵のようにみえた。