「夜の魚」

「夜の魚」一部 vol.64

 
 
 
■ 図書館ではビデオも貸していた。ふと思い出してそれを借りてきていた。一九八二年に作られたSF映画で、確かオランダの俳優が人造人間の役をしている。
 いつだか葉子が、レプリカントって知ってる、と尋ねたことを覚えている。
 知らないというと、その映画を観るよう強く言うのだ。
「わたしってね、ボーダーなんだって」
 薬の出所の医師か、カウンセリングを受けたことがあるのだろう。ユングやロジャースの単一な流れでなく、複合的な立場の見解だとは後で知ることになる。
 
「境界」という言葉のつく本を二冊程借りた。
 ひとつは、「周辺性」についての文学や哲学者の考察だった。目次を眺めると、「文明と異化」という小項目があって読むのをやめた。
 後はナチズムについての古い新書版で、若い頃読んだ覚えがある。
 旧ドイツの指導者達は、いわゆるゲルマン民族の周辺に位置するところから生まれていて、社会的にも文化的にも、「周辺人」であったと定義するものである。ドイツオリンピックの記録映画については、この仕事に入った頃ひとつの手本として先輩に教わった。広告の古典的な見本でもあるのだ。今にして思えばグロテスクな程に肉体を賛美しているのだが、その背後には薄い不安が滲んでいるようにも思える。
 
 朱色の照明がガラス越しに入ってくる。「マージナル・マン」とその本の中では振り仮名があった。
 三本煙草を吸い、外に出た。公園の傍の街路樹はプラタナスだ。幾つかは既に粉になっている。土に帰ることもなく、踏みしだかれ音を立てる。私は部屋に戻って白いベルモットを嘗めた。そう旨いものでもない。ソファを動かしてビデオを眺めることにした。

「夜の魚」一部 vol.63

 
 
 
■ 退院して仕事に戻った。
「用があったらいつでも呼んでね」
 葉子はそう言い残した。ポケベルを持ったローレン・バコールなんているものか。
 入院費を払う時、奥山がきたかと尋ねたが、真ん中から分けた髪の長い会計担当は曖昧な笑顔でごまかした。
 部屋に戻り、郵便と電話を整理し、次の日から事務所に出た。
 入院は車の事故ということにしてある。
 
 相も変わらずどうでもいいような仕事ばかりが溜まっている。ひところに比べればそれでも廻るようにはなっているが、それでも単価は切り詰められ、手持ちのコピーの引出しだけで充分だと思われた。勝負に出るような雰囲気が何処にもないのである。
 私はキー・ボードの掃除を始めた。画面もそうだが、指に触れるところが汚れていることが気になることもある。
「やる気になったんですね」
 事務の娘が言う。紫の混じった口紅を塗っている。
 この娘もそろそろかな、と思いながら五つばかりを仕上げ、パソコンのファイルに落とした。あらかじめ形のあるところに事務的に入れる。写真も手持ちで済ませた。あまり凝ったものは近頃遡及力がない。
 
 MOを事務の娘に渡し、夕方過ぎに外に出た。芝にある図書館に寄ることにする。
 何を調べていいのかはっきりしている訳ではなかった。
 適当に本棚を歩き、思い付くものを借りては隣のホテルまで歩いた。
 そこから見上げるタワーは、成程こんなに大きいのだなと思える。地下で中華を食べ、一階のテラスでコーヒーを飲みながら、入り口に飾られている薔薇の種類についてすこし考えた。あちこちに掛かっている布に緑が多いのはクリスマスが近いからなのだろう。