■ 眼が醒めると早い時間でないことがわかった。
ドアの向こうで音がする。暫くうなってから起き上がる。晃子がコーヒーを入れている。
「なんだかうなされていたわよ。その後イビキ」
口紅をしていない。
「呑み込まれる夢をみたんだ」
「あら、そう」
シャワーを浴び髭を剃った。剃刀が錆びている。すこし顎を切った。
私は何をしているんだろう。これから何をするんだ。
晃子に、吉川と連絡をとるように言った。奥山の力も借りるように。
「あなたはどうするの」
「わからない」
溜め息をついている。
「ちっとも変わらないわね。昨日、わたし危険日だったのよ」
「うん」
「銃は持ってるの」
「いや」
後ろの頭が薄く痛かった。晃子は生理が重く、中の一日はほとんど寝てばかりいたことを覚えている。コーヒーで薬を飲んだ。
「懐かしいって訳でもないわね」
「そんなに緩かったかな」
「なによ、下手な癖に」
私は上着を着て外に出た。
冬の空は明るく、すこし目眩がした。
上着のポケットからサングラスを出し、階段を降りた。
低い屋根が続いている。
十年前と同じ眺めだ。交差点で車を待っていると、ふたつ向こうの路地に晃子が住んでいたモルタルのアパートがあったことを思いだした。
「夜の魚」
「夜の魚」一部 vol.87
■ そこからの自分の行動を私は旨く説明することができない。
椅子から立ち上がり浴室に入った。
するすると下着を脱ぎ捨てると、熱いシャワーを長いこと浴びた。
ポンプ式のシャンプーで頭から躯を洗った。
垢すりのタオルが柔らかすぎる。ドアを開け、上着のポケットから煙草を取り出した。風呂の椅子に座って漠然と吸っている。
晃子が覗いた。
何も言わないで眺めている。浴室から出ると、新しい下着があった。
晃子のベットの脇に布団を敷いてもらう。
髪は濡れているが、乾くのを待つ訳でもない。
恐らく、今夜は北沢からの連絡はない。葉子の実家に電話をしてもほとんど意味もないだろう。さらわれた葉子がどのように扱われるのか、北沢の声で判断がつく。それに対抗する手段がほとんどないこともわかっている。
酒のグラスと灰皿を傍によせ、布団の上にあぐらをかいた。
「ともかく、寝よう」
暫くして晃子が寝室に入った。灯りが消される。
胸とその下の下腹に指を滑らせ、くぼんだものをかき分けた。
あらかじめ湿度ある沼のような重さが指に伝わる。
緩いものの中に入ってゆき、ただ動いた。まわすこともせず。
押さえた声が高くなる。脇の下から薄い匂いが昇っている。
懐かしいのかどうかわからず、暫くして眠りについた。
悪い夢をいくつかみた。
若い時の自分が、同じような過ちを繰り返している。
その傍に今の自分が立っている。
夢が醒めるとまた夢に入った。
それが夢なのだということはわかっている。
眠っている自分の布団から長い髪の毛が細くはい出してきて、かけてある毛布を持ち上げてゆく。
それを鋏で切ってゆくおかっぱ頭の女の子がいる。
その子の眼はあいているが見えず、赤い着物を着ていた。