阿呆面のお前たちとどこかでばったり出会っても
     そしらぬ顔でいような 4.
 
 
 
■ この緑坂の題名は、ウィリアム・ホールデンの台詞である。
「第17捕虜収容所」あたりから。
 収容所ものの映画というのは男たちに人気がある。
 抑圧と抵抗、諧謔とユーモアが集約されたかたちで顕れるからかも知れない。負けたことのない男などいないからだ。
 
 
 
■ ビリー・ワイルダーの風貌は、全盛期の山口瞳さんによく似ていた。
 眼鏡と輪郭がそうだ。若い頃、不安定で少しばかり無頼の世界に片足を突っ込んでいたところもそうである。「サンセット大通り」の試写会で、社の役員に、べらんめえと啖呵を切る辺りも、山口さんが時の首相に「男性自身」の中で噛み付いたことを思い出させる(「卑怯者の弁」)。
 ただワイルダーは社交の術に長けていた。自分の価値を知っていて、それを映画とはまた別の世界でも密かにしかも十分に活かした。
 ハリウッドという実態のありそうでない世界で生き延びていくには、つかず離れずの間合いと冷酷さ、それを包むジョークやウィットが必要だった、と言いかえることもできようか。
 
 
 
■ どうも。この辺りの屈折と厄介さが、私を不機嫌にさせているのではないかと思われた。水面下にあるだろうものである。
 ワイルダーは、常に「ワイルダーならどうする?」と問いかけられていたような気がしている。他人にも、自分にもである。