発熱九月。
 
 
 
■ 久しぶりにうろついたせいか、夜半熱が出た。
 熱のあるときに見る夢というのは、不思議なものが多い。
 なるほど私はこんなことを押し込めているのか、と思えるものもある。
 かといって、夢分析などをするつもりはない。
 
 
 
■ おまえもいつも新しいことをやらなければならないから大変だろう。
 と、かつての同級生に言われたことがある。
 まあな、と答えたが、これには二つの側面があって、ひとつは技術の問題である。
 撮影にしてもPCの構築とソフトの操作にしても、全てが一時に新しくなるということはほとんどなく、段階を経てそうなってゆく。
 MS-DOSの知識が、PCの環境構築には最後のところで不可欠なように、そこからUNIXなどへ変化してゆくように、技術はある部分で通抵しているところがあるからだ。
 やりやすいかどうかは別にして、AFのカメラにMFのレンズを付け撮影することは多く、露出補正も絞りリングを廻して行う方が早いこともあった。
 
 
 
■ もうひとつの側面は、センスの問題である。
 一般に、こうした仕事はほぼセンスだけで勝負しているように思われる。
 であるから、いつも先端にいなければならないと。若いものが出てきたら困るだろうと。
 ところが、実はそういうこともないんですね。
 若者が作っているものというのは、ある種の流れの中にあることも多く、一気に広がるのだが消えてゆくのも早い。
 暫く前にあったロシアカメラのブームなどは、チープなライカごっこにも似て、これが味なんだよと言われても、そうですかという按配で眺めていることが多かった。
 飽和した中で、どちらに向かうかの問題でしかなかったのだろうという気もする。
 デザインにしろ写真にしろ、実は年輪のようなものというのはある。
 文章もそれは同じである。
 古くなるのは、風俗とかTIPSと呼ばれる上辺の技術であり、それには流行がある。
 いわば技術を相対化して眺めてゆく作業が必要になるだろうと思っている。