ill wind.
 
 
 
■ ある通信社の編集委員の方が尋ねてきて、近くにあるホテルで暫く話す。
 内容は他愛もないことなのだが、つまりは「これから、どこへゆこう」という個人的な按配である。
 ネットの言論の世界は目まぐるしく移り変わっていて、半年前に言っていたことと今書いていることがまるきり違うことが、ままある。
 それは風俗のようなもので、言論それ自体も消費されてゆくからである。
 それに乗ろうとするひと。
 離れるひと。
 
 
 
■ 吉行さんに「流行」という短編があると前に書いたことがある。
 繰り返さないが、戦後その時その時に流行っているものを懸命に追いかけるある女性を定点観測した作品である。
 あるいは文芸春秋の池島さんが「雑誌記者」の中で同じようなことを書いている。
 昨日まで八紘一宇と叫んでいた人間が、一夜明けて赤旗を振る。
 池島さんはその姿に生理的な拒絶反応を示す。池島さんは坂口安吾と妙に息があっていたが、安吾の口を借りてその思いを伝えていたのかも知れない。
 思想はひとつの意匠になっていく。
 確か小林秀雄も似たようなことを言っていたと記憶しているが、確かめるのはやめておこう。
 
 
 
■ のしあがる手段のひとつとしてネットを使うひとがいる。
 それは広義の広告、セルフ・ブランディングのひとつなのだが、この言葉にも手垢がつき始めた。
 新自由主義には闇があって、自分の内側を眺めていては先にゆけない。
 なにかを欠落させたまま、俺が俺がと声を出してゆく。
 それが悪い訳ではないが、それによって喪うものもあることを未だ知らないのである。
 こうした人間像というのは今に始まったことではなく、昭和40年代の大岡昇平さんの恋愛小説にも遠景として散見する。
 当時は新興大学の助教授だったりTV局の社員だったりした。