blue sorrow.
■ 台風が近づく。
私は昼間の厄介で、無精髭である。
深緑に変わった庭を見下ろしていると、次にくるものがなんなのか、漠然とみえてくるような錯覚に陥る。
ここは吹き抜けになっているので、風の音が煩い。
■ こうして97年や99年の作品を再掲していると、何少しも変わっていないじゃないかという気がしてうんざりした。
デザインの原型も、またその言葉もである。
山本夏彦さんに「命ながければ恥多し」というコラムがある。
そこではどんな人間でも盛りは五年であるという。負けて十年。
芸術家は長いと言われるが、処女作を超えられない。
全盛期があればあとは欠けるばかりである。
そこで山本さんは、全盛期を作るなと別のコラムで書いている。
壇の上で手をぐるぐるさせて話すのは、もっての他ということになろうか。
ひとつひとつ胸に刺さる言葉ではあるが、一方、阿佐田哲也さんこと色川武大さんは、セオリーを持てとも言う。
勝負事で、この型にはまれば強いという、少なくても六割の確立で有利に立てるスタイルを作ってしまうことが肝であるとも書かれていた。
いわば寝技のようなものだが、これは切れ味というよりも別のものに近い。