新しい〆切と夜。
 
 
 
■ 具体的な昼間の厄介もあるが、そうではなく。
 自分が次にゆこうとする時、過去のものを一回濾過してしまおうとする力が働く。
 例えば、NYを題材にした「甘く苦い島」という作品群が私にはあるが、今公開しているのはその時に撮ったものの数分の一である。
 ある編集方針に従って、それは自分で決めたものだが、一旦は没にしたものが数年を経、また違った意味に視えてくることもある。これだから作品というかコンテンツというものはうかうかできない。
 
 
 
■ 思いは一度地中に埋める。
 ホトボリを醒ますみたいなものだが、神戸から香港に渡ろうとする「赤い波止場」の裕次郎は若かった。
 
 男女が寝ることがあって、その具体的な味について、鮮明に覚えているなどということは少ない。全体としてこうであるということは後になって言えるが、どこがどう違っているかについては、こちら側の感覚に左右される。その感覚は単体で存在する訳ではなく、その時の自分の状態に微妙な影響を受ける。
 でなければ、忘れるなどということが起きる筈がない。
 大の大人が、自分が初めて寝た相手の顔や躯を鮮明に覚えているなどということが実際にはほとんどないように、忘れることによって次の相手に逢うことが可能となる。
(「夜の魚 外灘」124)
 
 
 
■ ここで「味」という単語が出てくる。
 分かりやすく書いていたつもりなので、大抵の大人には理解されるはずだが、考えてみるとこれは男性からの視線である。
 妙齢というか、別の性からの下腹からくる意見もまたあるものだろう。
 言語化されているかは別にして。