ウラブレてやる。
■ 片仮名で書くと実感はない。
つまりは落ち目とか、都落ちとか、伝統的に言われているようなことである。
一度のぼったのであればそうともいえる。
■ 若い頃、草柳大蔵さんの本を読んでいた。
女性向けに書かれた、膨大な女性論である。
お説教くささと、今にして思えば分かりやすい縦縞のシャツに抵抗があったのだが、草柳さんは根っからの編集者であった。
それも、本質的には女が嫌いな女性論者である。
そこで紹介されている作品やその他を、私は何時の間にか買い集めるようになる。
消えてゆくものも、何時までも残るものもあったように覚えている。
例えば幸田露伴の娘、文さんの小説を私が知ったのは、草柳さんの書いたものからだった。東横線沿線の古本屋で買う。
■ 大宅門下であった草柳さんは、いわゆる日々消費される媒体の中であれこれを試みる。心情としては、トップ屋であった梶山さんと同じような位置にいたのかも知れない。
当時は学閥というものが根強く、また、週刊誌であっても新聞社系とそうでないものの間には明白な格差があった。
今考えると俄かに想像はつかないのだが、例えば山口瞳さんが「男性自身」の中で、自らの作品が直木賞ではなく芥川だったらと半ば真剣に愚痴っていたことを、なんとはなしに覚えてもいる。
実はネットも同じことで、私は何度か、北澤さん、写真集とか小説の著作はあるんですかと尋ねられた。私は薄く笑っていることにしている。