中国の豚。
 
 
 
■ 空港で、青銅製の猪か豚を買ってきた。
 香炉になっているのだろうが、実際には使わない。
 王宮の周囲に配置される、狛犬のようなものなのか分からないが、仕事場の机のガラスの上に置いてある。
 尻のあたりの丸みと、香炉の蓋になっている鳥。
 豚の上に乗った小さな鳥の姿を眺めていた。
 
 
 
■ 白金の界隈には、昔から古美術の店がいくつかあって、立原正秋さんの小説の中にもそれを転売することで利益を得る稼業の人物が出てくる。
 帯師、というのは芸者さんの着付けをするひと。
 こちらからあちらへ、品物を移動することで利を得る、いわゆるブローカーのようなものだ。
 戦時中の小林秀雄も似たようなことをしていたという話もあったが、誰が書いたものか今確認する気力はない。
 ここ数日、気鬱というか薄く不機嫌だったのは、すなわち同世代の男たちの姿を見てである。余所の財布を覗き、あるいは自意識がそのまま屈折になってゆく。
 学歴であるとか職歴・離婚歴など、不思議に歴というものがつきまとう。
「したいことはできなくて」という短編が色川さんにあったが、その中の編集者はまだ可愛い方であったのかも知れない。
 40を過ぎると顔に出る、というけれども、残念ながらそのようである。
 彼が無惨だということは、こちらのもうひとつの可能性もそうだったということに近く、考えすぎてはいけないが、考えないこともまた詰まらない。
 
 
 
■ 男の人生が残酷なのは、結局彼が独りだからである。
 いくつかの甲羅を被せなければ、頭が薄くなったただの中年男でしかないからでもある。
 胸の肉は落ち、胃の辺りが僅かに膨らむ。
 時に女性はその本質を見ていて、爬虫類みたいなものよ、と吐き捨てるように言う。
 それは六本木のブルースバーのカウンターだったが、彼女が仕事を辞め、不安定な時に口説いたものらしい。口説き方が安く、またいくらでも逃げ道のあるものだったのだ。
 これらは皆自分に還ってくることだが、そうは言っても今更修正の利かない地点までそろそろと来ている。