一月の薄い恋 7.
 
 
 
■ 作家の小嵐先生に賀状をいただいた。
 毎年、沁みることを書かれてくるのだが、半ばご自分に言われているようなところもある。作家とはそういうものだが。
 私は勝手に先生と書かせて戴いているが、実を言うとお目にかかったことはない。
 拙作「夜の魚」の件で、見たこともない若造(当時)に親身になって戴いたからである。辛辣な批評もして戴いた。爾来、十年近い。
 
 
 
■ 誰であれ、会っておいて損はない、という考え方を今ではするようになっている。
 正確には、するように心がけている。
 この仕事は比較的そういった部分があって、呼ばれる会合やパーティというのは半ば営業の場という側面もあるのだが、それはそれ、名刺を交換してその後は流れである。
 例えば文芸とか写真・デザインの世界で、極端なことを言えば誰かの弟子になるということが、最後のところでどうも馴染まないところが私にはあるようで、自分でも困ったものだなと思って長い。
 小嵐先生はその辺りも見透かされてもいるのだろう。
 
 
 
■ 今はどうであるかは知らない。
 少なくとも文壇の世界というのは世間よりは遥かに公平で、才能のある者を可愛がる。可愛がるとは、突き放して眺めるということでもあり、これをやってみろよと比較的長い眼で見ているのではないかと思うところがある。
 いくつもある賞のカラクリ、そして出版社の事情。
 これらは皆、この世間に生きているからやむを得ないことではあるのだが、紙の媒体はこのままゆくと厄介であろうかと思う。
 と、こんなことを書くつもりではなかった。