ひとがみな忘れた道 3.
■ 98年というと6年前だが、この年は年末仕事が立て込んで、いわゆる帰省というものができなかった。
24時間やっている大きなスーパーの惣菜売り場にゆくのだが、中国の工場で作っているかのような正月料理が並び、それを買い食べた。
遅い時間にゆくと、値札が赤くなっていて、それを待つかように並ぶ男や女がいる。
あの風景と味は忘れられない。
■ かといってそれが酷だったかというとそうでもなく、ある意味で当たり前だろうと思うところもある。
確か岩波文庫に「日本の下層社会」という本があって、今書棚を探る訳にもゆかないのでうろ覚えで書くが、東京には確かに貧民窟と呼ばれる一角があった。
麻雀放浪記で言えば「ノガミ」からその一帯。具体的な地名は省く。
軍の残飯を売りにくる「残飯屋」という仕事があったともいう。
どの地方都市にも、実はそういった一角というのはあって、明白に差別されたりされなかったり、坂の上と下とでは趣がまるきり違っていた。
■「どうにもならないからここにいる」
と、この青瓶では書いている。
なんにしても、仮にそれが表現に関わることであっても、やりたくてやるものではなく、仕方のないものなのだろうという気はしている。