夜の寝覚。
 
 
 
■ 緑坂というのはどこか性格の悪さが滲んでいるところがある。
 これは、そうしたくて書いているのではなく、自ずとそうなってしまうものであるからイタシカタがない。
 文章であっても、そうでなくても、某かの表現を試みることを課したひとというのは、おそらくはどこかでシニカルに対象と自らを眺めている部分があるような気もする。
 
 
 
■ すこし斜に構えることが格好いいと思われていた時代があった。
 多くは60年代後半からの流れを汲んでいる訳だが、反体制のポーズをとりながら、その影で大きなものに擦り寄る。
 擦り寄るのは、処世術として一向に構わない。
 一定の場なり立場がなければどうにもならないのが世の常だからである。
 問題はそれをどこまで自覚というか対象化しているかということで、例えばここを読んでいる方々というのは、少なくともネットに繋いでいる時間は、先ほど入ったコンビニのレジのおねーさんよりも幾ばくかは長い。
 もしくは、その使い方が異なっているだろうとも推察される。