二三 突堤
■ W1Sは右足がギアになっている。慣れないうちは誰しもが戸惑う。
私はメイン・スタンドを外していた。ただでさえバンクが浅く、思い切り倒すとアスファルトに触れすぐに火花が散った。
加速する。八○まで引っ張ってブレーキをかけた。
振れもせず、このままゆけるようだ。
天現寺の傍のスタンドで有鉛のガソリンを入れた。空気を確認し、ワイアーにCRCを吹き付ける。スタンドの若い者が遠巻きに眺めている。
タワーの前を曲がり、新橋の釣り具屋にいった。ジャケットとオイルライターをふたつ買う。その脇のペンキ屋でつや消しの黒いスプレーを求めた。
産業道路に廻り牛丼屋に入る。
特盛を頼み、卵を入れ五分で食った。
サービスの券を貰ったが隣にいた白人にやった。彼はなまりのある英語で礼を言う。英会話学校の講師のようだ。
大井から高速に乗り横羽線に入った。多摩川を渡ってすぐのパーキングに一度停め、黄色のジャケットに黒いスプレーを吹き掛けた。乾くのを待ち、皮のジャンパーの上に羽織ってジッパーをあげる。
橋の上から遠い東京がみえる。
川向こうだ。
いくつもの点滅する灯りがあり手前には空港がある。風も強い。
海は何処なのか、と思うのだが、入り組んでいて定かではない。
人気のないことを確かめ、W1Sのティクラーを押し、ガソリンをビール瓶に詰めた。ガムテープで蓋をする。ライターを縛り付けた。
メッキに黒のタンクは、これで相当軽くなった。
晃子に電話し、C突堤にゆくのだと言った。
「夜の魚」
「夜の魚」一部 vol.91
■ W1SはホンダのCBがでるまで国内最大の単車だった。
イギリスのBSAを手本にしたと言われるエンジンはOHVで、つまりカムシャフトがクランクのすぐ上にあり、プッシュ・ロッドを介してバルブを操作していた。五三馬力、最高速度一八五キロであるという。
実際はそれ程でもなく、一六○で一時間も走れば必ずと言っていい程焼き付きをおこした。こいつも一度ピストンを焦がしている。その時にロッドを細いものに替え、カムを削り直し、圧縮をあげてやった。バルブも磨く。
オイル・クーラーをつけ、貧弱なドラム・ブレーキはヤマハの古いレーサー、TZのドラムを移植した。リアのショックは七十年代のカワサキの四気筒、ザッパーと呼ばれた六五○のものがピタリと収まった。
どうした訳か、オイルはカストロールの相性が良く、五○○キロで交換してやると、タコ・メーターの針は赤い部分を嬉しそうに揺れていた。
実測で二○○は出ただろう。首都高速の内廻りでBMWのK一○○とバトルして負けはしなかった。
私はスロットを捻った。二本のキャプトン・マフラーから出る排気音は、ハーレーのそれよりもメリハリがあり、くぐもっている。
スロットの下にあるネジを捻り、開度を一定に保つ。流れたガソリンはすでに蒸発していた。煙草を吸いながら、ザックをスプリングのシートに括り付け、ナンバーにガムテープを張った。