「夜の魚」

「夜の魚」一部 vol.26

 
 
 
■ 部屋に戻ると机の上に鍵をおいた。
 いくつもの迷いがある。
「ミントのアル・ヘイグ」と呼ばれる名盤が先程復刻された。彼はB級スタンダードを、独特の物言いで一定の水準にまで高めるのが旨かった。
 ドライブがかかる。アカルガナシイ音色で先を続ける。
 私は晃子から渡されたコピーの束をぱらぱらと捲った。
 社内のデーター・ベースから引っ張ってきたものが主で、晃子はサーチャーのようなことをやったのだろう。
 従軍慰安婦の問題は広範囲に及んでいて、打ち出された関連文献のリストだけでも相当な数になっていた。新聞では、韓国やフィリピンの抗議団体が、「民間募金ではなく政府の責任で」と主張していることが報じられている。非政府組織、民間基金などを使って補償をすることは戦争責任の回避に繋がるということらしい。
 抗議団体はいくつもある。そのどこがCPPと関係しているのか、どのような手口なのか、一読判断はつかなかった。そもそもCPPとは何なのか。
 私には関係がないと思おうとしたが、割り切れないものが残った。
 
 トカレフは私のところにあって弾倉は空だ。
 始めて銃を撃った。撃てるものだなと思う。
 横浜新道のランクルはまだ記事になっていなかった。単なる事故として扱われたのだろうか。唇を噛んでいた葉子の横顔が思い出される。
 煙草を何本も吸っている。
 舌がざらざらしている。棚の酒瓶に眼がゆくのだが、飲むべきか迷っていた。
 ベットの下に置いてある古いファックスが鳴いている。
 音を絞ってあるので遠くから聞こえてくる。
 カタカタと暫く揺れては静かになった。

「夜の魚」一部 vol.25

 
 
 
■ 九年前、私はいつもそのような眼で彼女にみられていた。
 コンタクトを装着していると、泣いたような黒い瞳だ。
 半年程彼女と暮らしたが、私は別の女のところに入り浸り、次第に帰らなくなった。私達は別れ、二年ほど経つと彼女は年の離れた男と結婚をした。それも二年ほど続いたのだろうか。離婚をし、元の仕事を続けている。
「それが糸口なの」
 カチリと音をさせ、細いライターで煙草に火をつけた。
「ともかく、その葉子って娘が危ないわ」
 彼女はバックから鍵を出し、テーブルの上に置いた。
「部屋はふたつあるから」
 私はトカレフのことは言わなかった。葉子と寝たことも、拾った時に流産らしき按配だったことも。
 彼女は私をみつめ、
「彼女を愛しているんでしょ」
 と、言って笑った。名を晃子という。
 笑うと大きな眼の傍にくっきりした皺が入る。