Tag | 6.夜魚 61-70

「夜の魚」一部 vol.70

 
 
 
■ 電話を切って、すこしだけぼんやりとした。
 夢であり、ここにこうしていることが偶然の産物なのだということをその時は信じた。
 雨の中、オランダの俳優が死んでゆくシーンがあった。
 電池が尽きるように、アンドロイドは短い寿命を終える。
 チップに人為的なバグを混ぜているのかも知れない。バグはどの機械にもあって、有機的な筈の私たちも例外ではない。
 
「ビタミン・サラダ・カルシウム・弁当」
という冗談を事務所で誰かが言っていた。新製品のネーミングにどうだろうか、ということなのだろう。
 
 有効成分を、単体で採ることが日常的になっている。
 地方の医学生は、コンビニで買ったコロッケをつまみ、カルシウムの錠剤を噛みながらジャズ喫茶のカウンターで猫の腹を撫でていた。
 彼女は瞳の大きな肌の荒れた美人で、薬に溺れた頃のアート・ペッパーが好きだと言っていた。時々男を替え、寂しいからと八階建てのマンションで暮らしていた。今は眼科医になって港の傍の病院に勤めている。
 私はビデオを止め、酒を嘗めた。内側に篭る気配が濃くなってきている。
 そういえば、トカレフはどうしたのだろう。
 あの時、流れる自分の血のぬるさに新鮮な驚きを覚えた。
 赤い血は暫くすると黒く固まり、シャツを脱がされる時、かさぶたが剥がれて痛んだ。

「夜の魚」一部 vol.69

 
    十七 低い月
 
 
 
■「今度の土曜はなにしてるの」
「年賀状の宛名書きだよ」
「日曜は」
「できなかった分を書くんだよ」
 今年は土曜日がイブだ。私はメンソールの煙草を吸った。近頃、部屋に置いておき、思い出しては吸うことがある。
「食事にゆこうよ」
「東金はごめんだ」
「いいじゃない、髪もだいぶ伸びたし」
「東金がか」
「そうじゃなくてね」
 葉子は私を誘っている。私は半身になっている。
 この数年、クリスマスについては随分静かになっていたのだけれども、今年は街の様子が違っている。眼の色を変えたかのように宝石売り場にシャツを出した若者達が並んでいた。耳に穴を開けるのだそうだ。耳だけでいいのか。
「予約したのよ」
 そこで腹が立った。冗談じゃない、昔からクリスマスには餃子とビールで一杯やることになっている。部屋に帰ってから、小さなケーキをひとつ食うのだ。そう言うと、葉子は電話に溜め息をついた。
「だから、餃子を予約したの」
 私はすこし酔っていた。いい年をして、ロウソクの炎に揺れる女の顔を眺めていても仕方ないと思っている。油の浮いた壁の前で、蛍光燈の光に青ざめた毛穴を茫然と眺めているのが好きだ。
 葉子がBMWで迎えにくることになった。

「夜の魚」一部 vol.68

 
 
 
■「きいてないでしょ」
 成程そうなのか、と胸の中で細い針が微かに動いた。
 
 昔寝たことのある女が平気な声で電話をしてくる。私は平気な顔で答えている。彼女は男が変わる度に夜中に電話をしてきた。半ば決まった心を確かめるかのように、いくつかの些細な不安を並べた。ひとの心に興味があった頃、私は距離を置いて相づちを打っていた。
「まあ、この辺にしておこうぜ。七味を入れ過ぎると食えなくなる」
「あなたのそういうところがキライだったのよ」
 
 私は七味になることを承知していた。反面、昔の女と話していることで、現在に刺激を加えていることも自覚している。必要な時はそれで良かったのだろう。どういう訳かそうした構造が透けるようにみえた。普段そうした感覚が商品とコピーのあいだに薄い距離を置き、今のところ広告主から新鮮だと思われている部分のあることを思い出した。
 電話に付き合っているのに疲れてくる。向こう岸の言い足りない勢いを押さえ、電話を切った。
 二分経つと電話が鳴る。葉子だった。
「ポケベル、鳴らないわ」
「ああ」

「夜の魚」一部 vol.67

 
 
 
■ 電話が鳴った。昔すこし遊んだ女からで、今、恵比須の坂道で飲んでいるのだという。
「ブルー・マルガリータを四杯」
 知らない酒だ。
「男かえたんじゃなかったのか」
「そうなの、切れ間ってところね」
 何年か前のイブの頃、どう時間を合わせるのかで揉めたことがある。
 パーティに出ようというのだが、私は仕事が詰まっていた。そのパーティで知り合った男と暫く付き合っていたようである。
 ホテルの部屋を借りて集まることが、十年程前から暫くのあいだ流行った。
 自室が狭いから、そうするのだろう。
 坂道の途中にあるホテルは、二階のツインを全てそうした部屋に変えた。
 飲んだり食事をしたりする訳である。充分宿泊できるだけの料金で、アール・デコ調の椅子に座っているのは豪華なような気もした。
 その後、電車に乗らなくても良い場合ではあるが。
 
「今、どんなひととつきあっているのよ」
「四杯じゃないだろう」
 随分酔っているようだ。知っている頃は髪を長くし、時々はモデルのような顔をしてピアノを弾いていた。才能だけでは入れない、名の知れた私立の音大を出ている。
 私はぼんやりと話を聞いていた。ビデオのスイッチを入れ、音を消して眺めている。画面はいつも雨が降っているように思えた。
「代々木のツリーが変わったな」

「夜の魚」一部 vol.66

 
    十六 造花
 
 
 
■ 友人から送られた文献のリストは、そう多いものではない。
 カーンバーグとかマスターソンとか、ついこの間と言っても良い位概念としては新しいものなのだそうだ。東京駅の傍の本屋で大抵は手に入る。
 宗教関係のところにすこし、それから角の棚にすこし、定価を眺めては領収書は出ないだろうと諦めた。
 夜になって八重洲の地下街で食事をし、それからボタンダウンのシャツを一枚買った。昨年のものらしいのだが半値になっている。近頃、腕にアームをしている。シャツがそのように造られている。階段のところに座り込んでいる袋を持った男達をちらりと眺め、外に出た。
 部屋に戻りヒーターのスイッチを入れ本を捲った。
 定義からしてよくわからない。
 
「突然裏返しになる」という記述があった。
「予定した路線にはすぐに乗るのだが、そこで喜んでいるとその下にある不安定なものが露呈されてくる」
「安定した対人関係が結びにくい」
「半分鬼であり、半分人間でもある」
「神経症と分裂病の境界に属する人格のありかた」
 
 なんのことやらわからない。
 私は、地下街の花屋で造花を一本買ってきた。背の高いグラスに差し、水を入れるべきかどうか迷った。水は入れず机の上に置いてみる。
 壁に反射した光の中で、すこしくすんだ赤色の薔薇は静かに息をしているようにみえる。だが造り物なのだ。指で触れると乾いた音がする。
 考えるのをやめてぼんやりしていた。小さなグラスに酒を垂らした。
 ウィスキーは生で飲む。
 その方が旨いからだ。嘗めていると水が欲しくなる。
 黙っているとチェイサーをよこさない店が多いが、それがもともとの作法なのだろうか。
 水の味も酒を左右する。私はフードのついたトレーナーを着ていた。
 足が冷たいが、靴下を履くのははばかられる。

「夜の魚」一部 vol.65

 
 
 
■ 途中までみた。
 眼の大きな女に質問を加えてゆく場面があった。瞳孔の開き方で、彼女が人間ではないことがわかる。秘書ならそれで、慰安用ならまたそれ、目的に応じたアンドロイドが造られてゆく。戦闘用のもいる。
 思いついて医局にいる友人に電話することにした。
「どうしたんだこんな時間に」
 という声を古い馴染みで騙し、必用な文献をファックスで送って貰うことにした。
「近頃、内部だってアクセス料とられるんだぜ」
「わかったよ、銀座の黒い薔薇でも奢る」
「なんだそれ」
「社交場だ」
「わかんねえな、外にいる人のいうことは」
 暫くするとその一部が送られてくる。専門用語はわからないが、「境界性人格障害」と題目にはある。
「後は明日だ」
 下手な文字が見えたところで紙が止まった。
 
 銀座の裏通りにゆくとタイル張りの低いビルがある。
「発明・形状記憶発毛」と書かれた看板の下に薔薇の種類があって、「ここは皆さんの社交場です。貴男の故郷の娘を呼んで話をしてください」と手書きで書かれている。
 セットが幾らだったろう。油で汚れた調理場のドアの横にガラスのケースがあり、中にはボール紙で作られた日本地図が貼られていた。そこに沢山の虫ピンが刺さっている。
 近づくと、出身県ごとに女の名前が区分してある。源氏名なのだが、ほんとうだろうかと疑う気分が起きる。ひらがなが多い。
 反面、まだ舗装されていない頃の中学校のグランドが思い出される。
 いつかは入ってみたいと思っていた。初恋を覚えている訳でもないのだが。

「夜の魚」一部 vol.64

 
 
 
■ 図書館ではビデオも貸していた。ふと思い出してそれを借りてきていた。一九八二年に作られたSF映画で、確かオランダの俳優が人造人間の役をしている。
 いつだか葉子が、レプリカントって知ってる、と尋ねたことを覚えている。
 知らないというと、その映画を観るよう強く言うのだ。
「わたしってね、ボーダーなんだって」
 薬の出所の医師か、カウンセリングを受けたことがあるのだろう。ユングやロジャースの単一な流れでなく、複合的な立場の見解だとは後で知ることになる。
 
「境界」という言葉のつく本を二冊程借りた。
 ひとつは、「周辺性」についての文学や哲学者の考察だった。目次を眺めると、「文明と異化」という小項目があって読むのをやめた。
 後はナチズムについての古い新書版で、若い頃読んだ覚えがある。
 旧ドイツの指導者達は、いわゆるゲルマン民族の周辺に位置するところから生まれていて、社会的にも文化的にも、「周辺人」であったと定義するものである。ドイツオリンピックの記録映画については、この仕事に入った頃ひとつの手本として先輩に教わった。広告の古典的な見本でもあるのだ。今にして思えばグロテスクな程に肉体を賛美しているのだが、その背後には薄い不安が滲んでいるようにも思える。
 
 朱色の照明がガラス越しに入ってくる。「マージナル・マン」とその本の中では振り仮名があった。
 三本煙草を吸い、外に出た。公園の傍の街路樹はプラタナスだ。幾つかは既に粉になっている。土に帰ることもなく、踏みしだかれ音を立てる。私は部屋に戻って白いベルモットを嘗めた。そう旨いものでもない。ソファを動かしてビデオを眺めることにした。

「夜の魚」一部 vol.63

 
 
 
■ 退院して仕事に戻った。
「用があったらいつでも呼んでね」
 葉子はそう言い残した。ポケベルを持ったローレン・バコールなんているものか。
 入院費を払う時、奥山がきたかと尋ねたが、真ん中から分けた髪の長い会計担当は曖昧な笑顔でごまかした。
 部屋に戻り、郵便と電話を整理し、次の日から事務所に出た。
 入院は車の事故ということにしてある。
 
 相も変わらずどうでもいいような仕事ばかりが溜まっている。ひところに比べればそれでも廻るようにはなっているが、それでも単価は切り詰められ、手持ちのコピーの引出しだけで充分だと思われた。勝負に出るような雰囲気が何処にもないのである。
 私はキー・ボードの掃除を始めた。画面もそうだが、指に触れるところが汚れていることが気になることもある。
「やる気になったんですね」
 事務の娘が言う。紫の混じった口紅を塗っている。
 この娘もそろそろかな、と思いながら五つばかりを仕上げ、パソコンのファイルに落とした。あらかじめ形のあるところに事務的に入れる。写真も手持ちで済ませた。あまり凝ったものは近頃遡及力がない。
 
 MOを事務の娘に渡し、夕方過ぎに外に出た。芝にある図書館に寄ることにする。
 何を調べていいのかはっきりしている訳ではなかった。
 適当に本棚を歩き、思い付くものを借りては隣のホテルまで歩いた。
 そこから見上げるタワーは、成程こんなに大きいのだなと思える。地下で中華を食べ、一階のテラスでコーヒーを飲みながら、入り口に飾られている薔薇の種類についてすこし考えた。あちこちに掛かっている布に緑が多いのはクリスマスが近いからなのだろう。

「夜の魚」一部 vol.62

 
    十五 薔薇の原価
 
 
 
■ 次の夜、葉子が尋ねてきた。短いスカートを履いている。
 肌の色が違ってみえた。一枚、靄のようなものがかかっている。
「吉川さんはどうしてた」
「なんだか痛い痛いと困らせていたわ」
 私は吉川をさんづけで呼んでいた。撃たれたのだから、仕方ないだろうと思った。葉子に会うと大事なことがどうでもよくなる。葉子が話さなければそれでいいのだ、という気分が支配的になる。どうせわからないのだという投げやりな姿勢が引き出されてくる。問い詰めるには一定のエネルギーが必要だった。動機さえも。
「カマロはどうした」
「修理に出したわ」
 修理して大丈夫なのだろうか。塗装の破片から車を割り出すことは簡単にできる。
「ううん、平気なの」
 警察はどう処理したのか。死人が二人でている。いぶかしいことは他にもあった。輪郭が滲んでくるには先に進むしかないのだろうか。そんなことを漠然と思った。
 看護婦が覗きにきて不思議に笑い、ドアを閉めた。
 葉子が傍によった。自分の短い髪を手で撫でている。
 
「風呂に入っていないぜ」
「あなたの血が胸についたわ」
 靄はやはり白く、それは男達のもので、その中に赤いものが疎らに混ざっている。
 混ざるものは一定の重さを持ち、ゆっくりと曖昧になってゆく。
 葉子は跪いた。
 毛布が外される。私は自分も同じではないかと思いながら近づいてくる舌先を待っていた。
 それから絵本のことを思いだした。

「夜の魚」一部 vol.61

 
 
 
■ 病室で眠れない夜が多かった。
 どうしてなのか、わかれば眠れるのだろうと思った。
 午前二時に看護婦が廻ってくる。夜勤だけの担当がいるのだろうか、二日に一度は同じ顔をみる。
 東北の生まれだという看護婦とすこし話した。紅葉が奇麗な土地だ。ここの他に時々バイトをしているのだという。
「そこでも制服を着るんですよ」
 何処の店かを聞くのはやめた。
「いわゆる社交場だね」
「面白い言い方ですね」
 病院の待合室に絵本があった。トイレの帰りに一冊借りてきた。お徳用になっているようで、消防車の絵と動物の絵が書いてある。
「トラック、スポーツカー、タンクローリー、パトカー」
 それぞれに簡単な解説が載っていて、このような文を専門に書くひとがいるのだろう。
「めがねとかげ、カンガルー、ありくい」
 動物の絵も載っていて、そこにも説明がある。
 
「夜おきていてながい鼻で地面をさがし、舌をのばしてありを食べます。長い毛が生えています」
 「ありくい」が鼻の長い犬のように描かれている。ふりがなの振ってある説明文を読んでいると次第に不安な気持になってゆく。それは生理的なもので、長い毛と、舌の上で動いている無数の蟻のことを考えた。例えば山の中で死ぬということは、小さな虫などに食われてゆくことなのだと思った。
 サーブの中で男が死んでいた。私がカマロで脇腹に突っ込んだからだ。
 葉子が撃った女は中国女で、多分北沢の女のひとりだろう。晃子が襲われた時、傍でみていた女だ。私はその女に脇腹を裂かれた。
 葉子は人を撃った訳だ。
 当たり前のように人が死んでゆく。
 それに対してほとんど嘆くような感情が起きない。
〈殺さなければ殺される〉というようなことを映画などでよく聞く。果たしてそうだったのかも覚えていない。吉川に義理があった訳でもない。
 
 葉子の横顔は硬い意志に満ちていた。顎の線が蒼ざめ、いつか映画でみたポーランドの若者のようだった。彼等はファシストと戦った訳だが、こんどは何なのだろう。薬を飲んでいた葉子と銃を持った葉子が一本の線で結ばれない。そういえばカマロはどうしたんだろう。
 私は夜の動物園にゆきたいと思った。
 闇の中で、猛獣が叫んでいる声が聞けるのかもしれない。