Tag | 妙齢版

かぱかぱの味

 
    かぱかぱの味。
 
 
 
■ 近頃の若い女性は、甘い酒を好まない。
 かぱかぱと、ウイスキィをロックで召し上がったりしている。
 眺めていると、胃袋というよりも腰マワリで飲んでいるような錯覚を覚える。
手を廻しても届かない。
 腰の厚い女性は酒が強い。
 蓄えておけるからだ。
 

人生が青森県

 
    人生が青森県。
 
 
 
■ 薄い頭痛がして、雨が近い。
 もしかして二日酔いなのかも知れない。
 のろのろ酒の瓶を片付ける。
 誰もやってくれないからだ。
 棚の脇の小さな額に絵葉書が入っていて、モノクロの「キングコング」があんぐりと口を開けていた。
 

酒について

 
    酒について。
 
 
 
■ ウイスキイを飲んでいる。
 小さなグラスに垂らして嘗めるのだが、この処毎日が二日酔いである。
 こんな女がいたらさぞや迷うだろうなあ、と思いたくなるような酒がいい酒である。つまり酒は女と同じで、試してみて、悪酔いしてみなければわからない、ということであるらしい。
 
 
 
■ ま、いいんだけれども、
「酒を飲む時には、酒を飲む以外の目的をできるだけ持たないことが望ましい」
 ということを誰だかが書いていて、これはエライことだなあと感心した。
 酒の席で仕事をしたり、女性を口説いたりするのは確かにめんどくさいことである。
 どうしても飲むのがオロソカになるし、安心して酔えない。
 気持ちよく酔えなければ、何のタメに飲むのかわからない。
 ついでに口説くということはあるが、その為に飲むということはしない。
 ということにしておこう。
 

ぬるいジン

 
    ぬるいジン。
 
 
 
■ 半袖になるとジンを飲む。
 最初はロングで、夜も更けてくると、そのままで。
 冷やす場合もあるけれど、出しておくと露がつく。
 瓶のコースターというのは聞いたことがない。
 机が濡れる。
 
 
 
■ 飲んだあと、再び冷凍庫に入れるのを忘れる。
 酔っていて、それが出来るとするならば、それは酔っていないのとほとんど同じである。
 だから、ぬるいジン。
 
 
 
■ 雨の夜、ちびちびとジンを嘗めている図というのは、なかなか過酷である。
 頽廃的とも言えるが、頽廃に酔えるほど若くもない。
「片目を開けたタイハイ」といった按配だろうか。
 どうでもいいけれど。
 

離脱するわざ

 
    離脱するわざ。
 
 
 
■ 女性が悧巧ぶった男から離れる時、「もう、いいの」と言います。
 これは上品に表現した場合で、もうすこし正直になりますと、「ケッ、オキャガレ」などと、江戸っ子は言います。
 
 
 
■ 村にオンニョロ様があらわれると、村人は「わあ、オンニョロ様だ」と逃げ惑います。
 なんでも「ハイハイ、ごもっとも」と言うことを聞きます。
 ま、ひとつの技なんですね。
 君子アヤウキに近寄らず。
 

夢去りし街角

 
    夢去りし街角。
 
 
 
■「理想のタイプの女性」って話は、結構突っ込みやすくて楽しいので、私もすこし書いてみます。場が違うのは、ま、そこは流れで。
 
 
 
(1) お酒を楽しめる
 この、「楽しめる」という定義が問題なんだよなあ。
 どの程度までを言うのか、ここで具体例を書こうかとは思うのだが、まだ酒が廻っていないのでやめておく。
 
 
(2) 薦めた本を必ず読んでくれる
 若い頃、私は女性に本を勧めた。
 概、自分が感動した本だったりするんだけれども、ロートレアモンとかラディゲとか、なんだか良く分からないけれども、その当時の私から見て、やや高尚なものが多かった。
 エロ本などは決して勧めなかった。必需品であったのに。
 これを「啓蒙思想」と言うのだと後で知ったのだが、自分の読んだ本を女性に勧めることの意味については、またの機会に詳細に論ずる。
 それほど、コワイことなんですよ、実は。
 
 
(3) 人間好き
 子どもも、人間も、私は別に好きではない。
 仕方なく、人間をやっているという気分がすこしある。
「女好き」とか「男好き」というのは、分かるような気もする。
 親が良い人だとその子どもも可愛く見える。
 あくまで具体的なもんであって、一般的な人間というのはよく分からない。
 
 
(4) 雑食
 旨いにこしたことはないけれど、とかく食べ物の話をすると語りに品がなくなることが多いような気がする。
 吉田健一さんと、内田ヒャッケン氏のものは別です。
「とんかつ食いにゆこうかあ」
 と、若い女性を誘って、
「私は、ご飯と塩昆布があれば生きてゆけますから」
 と言われ、すぐ惚れたことがある。
 フラれたけれども。
 
----
 
■ と、この辺で止めておく。
 やっぱり具体的に展開しないと、よく分からないものかも知れない。
 おじさんの妄想は、何時だって具体的契機に触発されるのだった。
「すこし窪んでいるウナジ」
「無くなった足の小指の爪」
「覚悟した高いパンツ」
 などですね。
 

はがゆいもの

 
    はがゆいもの。
 
 
 
■ 夜の遅くに車を運転していて煙草をくわえた。
 ひからびた唇に気付いて奇妙な気持ちになった。
 乾いて割れかかった唇で首筋に触れる。
 皮膚が剥がれる時の、薄い痛みの予感を覚える。
 首筋は、気配を感じ取っている。動かない。溜め込むように皮膚の底の部分で密度が増してゆく。
 
 
 
■ 女は待っている。
 掌が置かれる場所によって心をきめようと蓄えている。
 その汗はひとつひとつが濃密な匂いを保ち、薄く躯の表面を覆っては霞んでゆく。
 ひからびた唇で女の首筋に触れること。それは努めて性的な儀式であるが、そこに欲望というものはない。
 男は、青年の頃のように、急に躯を離し、何処か遠くを眺めたりすることはしない。
 

銀色の鱗

 
    銀色の鱗。
 
 
 
■ それから何年か経ち、私も大人になった。
 泣きはしないが、気配は分かるようになった。
 その彼女は幸せになったけれども、相手の気持ちは知らない。
 
 
 
■ 若かろうが、そうでもなかろうが、ある時にそういうことは起こる。
 体調と空白と、それから具体的な場所の問題だと思う。
 シーツにきらきらしたものが残っている。
 時間が経つと、それは虹色に変わったりする。
 ややほとぼりの醒めた、接していた部分に、結晶のような細かな断片が絡みついている。
 薄い灯りの下で、銀色の鱗のように見える。
 コントラストが奇麗だとも言えるが、厳密には単なる生理現象なのだろう。
 そこから、愛が生まれることもあるけれど。
 

吹く女

 
    吹く女。
 
 
 
■ どんな女か。
 と、言えば、口紅を二度重ねて塗る女である。
 勿論異なった色合いの奴を。
「どうして」
 と、聞くと、
「なんとなく」
 と、答える。
 そうだろうな。
 と、私は思い、奇麗な女というのは、何処かでそれを自覚しているのだなと続けた。
 
 
 
■ 深い処にいる途中、突然に熱いものが噴出する。丁度、温泉を掘り当てたような按配である。何処までも深くなり、耳の傍で高い声がする。
 
 
 
■「そうだったのか」
 と、煙草を吸っている。
「久し振り。でも、こんなものじゃないの。二度も三度も」
 こういう時、男は泣いてもいいんだろうか。
 「妊娠したことがあるだろう」
 と、言いそうになってやめた。
「騙されやすいね」
 「んん」
 シーツを挟んで目を閉じている。
 

ギブスン

 
    ギブスン。
 
 
 
■ ドライ・ベルモットのロックを飲んだ。
 イタリアの、二番目にポピュラーなものだったから、すこし甘かった。
「レモンか、ライムを垂らしちくれ」
 と、言わんかとしたが、連れの馴染みの店だから遠慮した。
 最低の社会性はあるのだ。
 
 
 
■ マテニィの作り方をとやかく言うのは野暮である。
 マルチニとも言うし、マティニとも書く。
「エキストラ・ドライ・マテニー」などとも言う。
 どうでもいいのであるけれど、近頃のはほとんどジンの味だ。
 おおむね、四角くて男性がスカートを履いた絵柄のものを使う。
 混ぜた場合、一番馴染み易いからなのだろう。
 ドライであれば良いのかと思い、若いバーテンダーが、緑いろのまるを使う。それでいて、ベルモットが一番甘い奴だったりする。
 そういうのは、すこし困るな。
 言わないけれども。
 
 
 
■ ツツジが咲くようになると、すこし汗ばむ。
 昼が長くなって、ブラウスの後ろに蝶々がとまったような筋が透ける頃には、宵の口、キリッとしたギブスンを頼む。
 旨く作られたギブスンは、透明な背中を思い出させる。
 出来れば三口位で飲み、普段吸っている煙草を吸って、キャッシャーの女の子に軽口を叩いて帰る。
 別に格好をつけている訳じゃないけれども、ジェリー・マリガンというひとの、「ナイツ・ライツ」というアルバムは良いですよ。
 ジャズが好きではない人にもね。
 

野蛮さについて

 
    野蛮さについて。
 
 
 
■ 見事にフラれると、思わず笑いだしたくなることがある。
 なるほど人生とはこういうものであるかと思うこともある。
 同時に複数の女性と付き合い、鼻の下を伸ばしていると、そのうち酷い目にあうこともある。
 バレーボールの球のように、あちらでどつかれ、こちらではたかれ、楽しみが苦痛に変わる日の移ろい。
 そうした毎日の中から、じわじわと滲んでくるアブラのようなものがその男の精神のかたちを変えてゆく。ま、いいんですけど。
 
 
 
■ ところで、次の文をどう読むだろうか。
 
 深夜の台所酒を味わった翌日はむろんひどい宿酔である。それは分かっているのに、台所にお御輿を据えて、一杯、二杯、だんまりで飲む酒にはえもいわれぬ味わいがある。酒痴末法か。けれども何かひとえぐり、人生をさらに深くえぐってみたというような感じがある。
 
 やはり深夜、よそから帰ってきて、勝手口の戸を開けながら、ふと空を仰いだ。西の空には十三夜の月が懸かっていて、大きな雲のかたまりが空一面にゆっくりと動いていた。十二月の真夜中だというのに、そう寒くはない。空を仰ぐことは絶えて久しい(略)。先夜の雲のかたまりにも平素味わうことのないあるものを感じた。強いて言えば、それは一種の深さの感じである。垂直情緒である。その時は、自分の時の流れがしばし停止して、自分に相対するものをより深く捉え得たような気がする。そしてよく考えると、自分がその時、つかまえたなと実感するものは実はこの自分の存在なのである。自分自分というけれど、その自分というものは普通自分にはなかなかつかまえられないものなのではあるまいか。
(高橋義孝:夜更けの酒と雲)

-----

■ 本来は全文を読んで戴きたいのだが、失礼を承知で半ばだけを選んだ。
 高橋先生は、深夜家族のものが寝静まった後で、もそもそ起きだしてきてひとり飲むコップ酒の味は格別であると言う。まさにその通りで、月の明るい夜更け、狭いベランダに出てちびちびやっていると不思議な感情に襲われる。
 遠くの温泉宿に出掛け、夜更けに布団から這い出して、たいして旨くもない酒をぐびりと飲んでいる時などにも同じことがある。
 
 
 
■ たとえば女と寝ているとする。女にとってひとたび山があり、それが幾つか続くとする。これ以上はもうない。と思っていると、その奥からまるきり別の感覚が沸いてくる気配がある。
 それが男に伝わる。互いにえぐるような精神の姿勢になる。
 そこで重要なのは、野蛮さということである。野蛮さを越えると、今度は静かなものが滲んでくる。愛情と呼びやすいものであったり、憐憫であったり、軽蔑であったり関係によって様々であるが、何か本質のようなものがすこしだけ伺えたような気持ちになる。時間が経てば消えてゆくものかも知れないし、そうでないかも知れない。しかし、一度、なにものかをえぐるような姿勢にならないと、視えてこないものがあるような気がする。
 所詮男と女との関係においては、ぎりぎりの処で、野蛮なものが不可欠なのではないか。勿論それだけではないが、それを避けることによって、根本的に傷つくことはないかも知れないが、次第に澱のようなものが溜まってくるような気配を感じている。
 

隙をみせないで

 
    隙をみせないで。
 
 
 
■ 夜になって雨になった。
 二日酔いで、一歩も外に出なかった。
 伊集院静氏の「乳房」という小説を読んだ。
 風呂に入り、髭を剃ったのだが、しくじって血がすこし出た。
 
 
 
■ 桜はもう終わりだろう。
 鎮痛剤をかじりながら、薄い酒を嘗めている。
 女の耳のかたちというのを、時折思い出すことがある。
 側にあるからだが、小さかったり、ふくよかだったり、中の三角に尖っている処が妙に目立ったり、眺めていると不思議に納得してしまうこともある。
 十代の少女が、思いの他したたかな耳朶をしているのに気付くと、このように再生産されてゆくのだと思うこともある。
 

わかった

 
    わかった。
 
 
 
■ 前に、いわゆる同伴旅館のことを書いたけれども、すこし前、様々な趣向をこらすのが流行った。
 カラオケがあったり、プールがあったり、パソコンが置いてあったりする。
 半分にちょん切られたドイツ製の赤い車の中に掛け布団があって、運転席の側にはいくつものスイッチがついている。押すと、あちこちが点いたり、時々動いたりする。
 車で来て、また車にのるということの意味がよく分からなかった。
 ハンドルまで付けなくても良いだろうと思った。
 
 
 
■ 大抵のものは揃っていても、ひとつだけ無いものがあった。
 それは、深夜、ヤキソバを作ろうとした場合の、いわゆる台所である。
 例えば、女性が男性の部屋にきて、台所で何かを言うことがある。
「どうしてここにこれがあるの。誰がきたの。まったくもう、なんでこういう風にしまうのよっ」
 ここでオフクロの名前を出す訳にもゆかない。
 暫く何事かをやっていて、覗いてみると見事に整頓されている。
 ここで喜ぶのはまだ早い。
 
 
 
■ 煙草などを吸っていて、時間をやりすごす。
 できるだけ深刻な顔をしていた方が無難であるが、それは惚けた顔をしていると怒られるからであって、それ以上の効果はない。
 ひととおり通り過ぎたら、言葉の切れ目の按配を探る。
 何処かと言われても、それは経験かなあ。 
 次の台詞を捜しているような気配があったらひとまずチャンスである。
 ただし、余計な事を言ってはいけない。
「わかった」
 と、いうのが妥当ダロウ。
 
 
 
■ しくじるとこうなる。
「何がわかったの。だいたいねえ、あなたは始めっから」
 と、循環構造になる。これは長い。
 89年10月3日午後7時の会話までが引用される。
 次に言う言葉は、
「わるかった」
 が、良いダロウ。
 暫くそれで様子をみたまえ。
 あとは知らない。
 

昨日夢をみたよ

 
    昨日夢をみたよ。
 
 
 
■ 週末の夜に、それがひとりだったりして、外は曖昧な空気なのに、電話も掛かってこなかったりすると、大抵のひとは酒を嘗める。
 ひとりで飲んでもおいしくないだろう、と言うひともいるけれど、そしてそれは案外女性に多いのだけれども、ま、そこは流れで。
 そんなこともないのですよ。
 
 
 
■ ウイスキイは生で飲む。旨いからだ。
 と、若かりし頃の山口瞳さんが書いておりました。
 向こうの安いスコッチならそれで良いと思う。
 一時、酒の瓶を並べて喜んでいた時期があったけれども、もうそういうことはしない。封を開けると味が変わってしまう。
 六月になると、ペルノォという毒のないアブサンを嘗めることもある。
 それは、向こうの詩集を眺めるようで、何処かしらしゃらくさいポーズであったりするのです。
 
 
 
■ マイルス・デイヴィスが煙草を咥えているジャケットのレコードがある。
 その中に「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」というのがあって、元々はシナトラの歌曲だったような記憶がある。
 地方の都市の、とあるジャズ喫茶では、これと、もうひとつ「リラクシン」というのを、お開きに流すのだけれども、看板まで粘っているのは大抵男だった。
 
 
 
■「風邪直っただろうか」
「うん。あれじゃ風邪もひくだろ」
「馬鹿だね」
「うん。馬鹿だね」
 だけど、馬鹿ってのは味がある。
 すこし苦いものも含まれているんだけれども、それは布団の中の本人が 一番よく分かっている。
「ワタシハ何ヲシテイルンダロウ」
 と、呟いたことのない男も女も暑苦しい。
 もうじき桜が満開だよ。
 

ピンクのブラウス

 
    ピンクのブラウス。
 
 
 
■ 部屋の近所には何本か桜があって、見上げると、気の早いのはすでにして綻び始めていた。
 せっかちだな、おまえ。
 手を伸ばして、先の枝を盗む。
 花瓶というものがないので、細い酒のグラスに差し、机の脇に置いて眺めている。
 
 
 
■ 零れた灰皿の灰を、懸命に片付ける桃色のブラウスがいた。
 若くはないが、年増だとも言えない。
 言いたいことは言うが、それが全部でもない。
 時折、「月に吠える」(註:朔太郎)のだけれども、それは女性だから仕方がない。
 やや、贅沢でもある。何がというと、口で言う好みが。
 仕方なく、贅沢にしているという気配もある。
 大人にはいろいろ事情があるのです。
 

これから何処へゆこう

 
    これから何処へゆこう。
 
 
 
■「とにかくね、ネオ・クラシックってのが一番危ないんだ」
 二十代の終わりらしい男がカウンターの真ん中で言った。
 隣に、去年の新入社員らしき女性が座っている。
 男は酒の解説をしている。女はうなづいている。
 小さなケーキが運ばれてきた。蝋燭も何本か立っている。
 誕生日であるらしい。
 このホテルのバーも、すこし混み合ってきた。
「ここで、伴奏」と、太ったバーテンが言う。
 隣にいた我々は、厳粛なる結婚式の調べのイントロを、ひらがなで歌った。 
「おいおい、ちょっと待ってくださいよ」
 と、男が急に真面目な顔になる。
「いかんよなあ」
「これから何処へゆこう」
 

それについて

 
    それについて。
 
 
 
■ ぜんぜん話は変わるが、この処、昔の文庫などをぱらぱらと読み返していた。
 中で、何度読んでもすごいというか、酷いというか、ついつい鉛筆で線を引きたくなるような部分があったので引いてみた。ついでに書き写してみる。吉行淳之介と金子光春の対談で。
 
 
●吉行 わたしは常々金子光春に感心しておりますのは、あらゆる人間を同じ平面でごらんになることができるでしょう。これは大変にむつかしいことで、水平に見ようとする意識を持つことはできますけれど、ただ実際にスッと見れちゃうってことは、これはなかなかできないと思うんです。そこんとこの具合をひとつ(略)。
 
●金子 はぇ。
 
●金子 若いときは色々あったけど、今はないんですよ。こっちが最低になったかもしれねぇんだ(略。このあとレプラかなんかの話をして、そのうちよく分からなくなる)。

●金子 いや、そりゃあ、一般には見てますよ。一般には見てますけどね。あの部分の横のほうの壁がツルツルになる奴がありましょう。なぜああなるのか。普段はヒダヒダなのに。それからお水の出る穴があるてぇますが、それも見てみたいしね、どんな具合に出てきやがるのか。それにツブツブのある奴が出たり引っ込んだりするでしょう。ゲンコみたいなのが奥からウニューと出てくる奴もありましょう。マラの先に蝶々がとまったようなものもありましょう、そういうカラクリをね。まあ微細に見てみたいと、目が悪くならないうちにね、ということです。今まではやることばっかり考えていた。不覚です。
(面白半分:49年4月号)
 
 
 
■ なんと申しましょうか。詩人というのは、すごいものである。
(以下、やや具体的記述が続くが、自粛)
 そういうものが、さまざまな形をしたものが、微妙にうごめいていて、時とともに状態を変える。
 あのね。これは、ひとりの男にとっては、かなり深刻な、重大なモンダイなんである。それをどのように眺めるかによって、その男の成熟度や人生に対する基本的な姿勢が分かってしまう。
 そこの処を曖昧にしたまま例えば結婚したりすると、奥さんと一緒に呼吸法をならったり、胎児をビデオに録画したりする。
 まあ、それはいいんだが、よく飲みにゆくと、いるでしょう、奥さんの写真を酒場の女性に見せたり、連れてきたり、幸せをまるだしにしているような男が。
 そういうひとたちは、なにを考えて生きているのか。
 幸せとは何なのか。
 ま、いいんですけれども。
 

同質の声

 
    同質の声。
 
 
 
■ とある日本の写真家が、肖像写真を撮っていて、「気力は眼に出る」ということを、何処かに書いていた。
 それに答えたのか、ある小説家が「知性は声に出る」などと書いていて、そういうものか、と記憶に残った。
 見知らぬひとと電話で話していて、ああ、この人は自分と同じような感覚をしているのではないかと思うことがある。
 高かろうが低かろうが、そして時折ひび割れることがあっても、その背後にある漠然とした気配のようなものを感じることもある。
 
 
 
■ もともと、個性というのはじつに厄介な人間のさまざまな要素の複合体である。
人間が成長するにつれて、ある部分を抑制し、ある部分を育成することによって、微妙なバランスが生まれる。
 その前提として、自分を点検する作業があるのだが、となると、年齢によって、抑制する部分や育成しようとする部分が少しずつ異なってくることになる。
 人の声というのも、そうした微妙なバランスの上に成り立っているような気がする。
 もともとあったものに、何が付け加えられ何が削られたのか。そしてそれは、その人の裡でどのように均衡を保っているのか。
 見知らぬひとからの電話の後で、そのように思うこともある。
 

御休息

 
    御休息。
 
 
 
■ くだらない話を書く。
 下北沢の線路沿い、大きなスーパーの裏あたりに、昔ながらの同伴旅館があった。たしか「かたばみ」とか「うわばみ」とか言う名で、マサコというジャズ喫茶にゆく途中、そこを通る。先日久しぶりに通り掛かると、そこが今風のシティ・ホテルに替わっていた。シティ・ホテルとは言っても、することは同じで、外側が変わったに過ぎない。
 渋谷あたりの流行が下北にも押し寄せてきたといった按配である。
 
 
 
■ ところで、その手のホテルでの勘定支払いの時、電話で、
「済みました」
 とうっかり言って、恥をかいた男がいる(私ではない)。
 もっと酷いのになると、車のエンジンがどうにも掛からず、JAFを呼んだという奴がいる。その間、ふたりで待っていたらしい。
 ま、先の場合、何と言えばいいかというと、「帰ります」とか「会計を頼みます」と言うのが妥当か。
 すると、フロントは「冷蔵庫は何をお使いになりましたか」と聞いてくる。
この場合、「赤まむし一本」と答えるのが、どうにも恥ずかしい。
かといって、「二本」という訳にもゆかない。
 ホテルによっても違うが、冷蔵庫には大抵、ビール、ウイスキイのミニボトル、赤まむしドリンクやら、カップラーメンなどが置いてある。
カップラーメンというのも渋いが、時には、鮭缶が入っていることもあって、
「コレハ、ナンダ」
 と考えたことがある。
 
 
 
■ すこし前まで、浅草や鴬谷周辺にゆくと、昔ながらのそうした旅館があった。大抵は和室である。畳の部屋と、襖を隔てて赤い布団を引いた部屋がある。窓を開けると、隣の家の台所や屋根瓦が見えたりする。
 雨のシトシト降って何もやる気のしない午後など、そういう処へシケ込んで、一日中ぐずらぐずらとしていられたらいいだろうなあ、と思うことがあるが、そこまで出かけるのが億劫でこまる。
 
 
■ 以前、......以下自粛......
 
 
■ ともあれ、この手のホテルですることと言えば、人間のイトナミの最たるものである。イトナミの中にはグロテスクなもの、なんだか滑稽なものが混じっている。
 私の友人に、その手のところに、風呂に入りにゆくという奴がいて、その際、ビールと温泉の入浴剤を買ってゆく。草津の湯とか別府の湯とかいう奴である。
 ビデオを眺め、ゆっくりと広い風呂に入り、あとはぐうぐう寝てしまうのだそうだ。
 連れがどうしているのか、それは聞きそびれた(初稿:90-12)。
 

夜食

 
    夜食。
 
 
 
■ 牡蛎の上にオリーブ・オイルを垂らし、にんにくの粉と塩コショウを振り掛け、パン粉をぱらぱらとかぶせる。
 そのまま、オーブンに入れ、電熱で十分程焼いて食べるとなかなか旨い。
 香ばしい匂いがする。
 安いワインを飲みながら、これでテレビを眺めるのだが、冷えてきた奴にウースター・ソースをたぽたぽ掛けて摘まんでもいい。
 簡単で早いのは良いが、結構腹にたまるので御用心。
 太りまっせ。