Tag | 妙齢版

道具について

 
    道具について。
 
 
 
■ 昔、フランス製の使い捨てライターを使っていた。
 楕円形の奴ではなくて、丸い形をしていた。
 銀座のデパートなどにゆくと、今でも売っている。
 たまには買うけれど、近ごろではどうでもよく、その辺にあるものを使っている。
 忘れるので、あちこちにばらまいている。
 
 
 
■「死刑台のエレベーター」の中で使われていたのがダンヒルだった。
 あの音には狂いがない。
 随分昔、学生のバイトから本業になったホステスの女友達が、
「煙草をつける音でその男のランクが分かるわよ」
 と言っていたことを覚えている。
 車のようなものか。
 今となっては、すこししゃらくさいような気もするが、その時はそうは思えなかった。
 

テリーのテーマ

 
    テリーのテーマ。
 
 
 
■ そんなことを相手のひとに分かって貰おうとするのは徒労である。
 男性が考えるリリシズムというのは、すこし酔っているところはあるけれど、基本的にひとりで居ることを覚悟した処から始まっている。
 背広の肩口の、ワイシャツから出ている首の線を眺めているのが好きだと言った女性がいたが、色気のある首というのは、そうあるものではなかろう。
 

フォグ

 
    フォグ。
 
 
 
■ 濡れた路面というのは何処か艶めかしい。
 水の中から夜を覗きこんだように曖昧でもある。
 黄色い補助灯をつけて坂道をバスが昇ってくる。
 すこし粘っこい声が聞こえたような気がしたが、空耳だった。
 マスカレードを歌っている。
 

余滴

 
    余滴。
 
 
 
■ 若い頃、煩悩をひきづって歩いていた。
 不穏な目つきをしていたもので、よく官憲とケンカした。
 パトカーなら振り切れるが、白バイは駄目だ。
 良いのは、何処かマンションの地下駐車場に紛れ込み、エンジンを切って通り過ぎるのを待つことだった。
 サイレンはドップラー効果で遠ざかってゆく。
 
 
 
■ 金もなく、女もなく、ただの生意気な若造だった。
 きんたまをずるずると引きづって、街をうろついた。
 いい女はみんな笑いながら通り過ぎていった。
 

上着

 
    上着。
 
 
 
■ しかたなく上着を着た。
 随分前に買った麻の濃い色の奴で、ポケットにハンカチを二枚入れた。
 ほとんど手に持って歩くのだけれど、いざとなれば着る用意があるということを、周囲に示唆しながら歩いている。
 煙草は入れない。
 だって落とすから。
 

背中

 
    背中。
 
 
 
■ 背中を、指でなぞってゆくと、薄い疲労が滲んでくる。
 指が吸い込まれるような按配になる処があって、そこを押してみると、大抵は、いわゆるツボになっている。
 思うんだけれど、女性の背中って、社会生活と密接な関係があるよね。
 

坂の途中

 
    坂の途中。
 
 
 
■ 坂道を登ると、夜になっても汗ばむ。
 植え込みの処に紫陽花が咲いていて、それを眺めながら歩く。
 初夏には紫の花が咲く。
 軒先に、桔梗が植えてあることがあって、いけないことだけれども、時々一輪を盗んで帰る。
 

競争を勝ち抜いてきたんだ

 
    競争を勝ち抜いてきたんだ。
 
 
 
■ と、その人は言った。
 自分の若かった頃の話を続けた。
 母校の名前と、自分の生い立ちについて、淀みもなく連ねていた。
「それで、本当にやりたいことは何なの」
 と私に聞いた。
「さあ、なんなんでしょうね」
 と、私は答えた。
 熱くもないけれど、醒めてもいない。
 

海に近い

 
    海に近い。
 
 
 
■ 紫陽花が咲き始めた。
 女性の魅力はその下腹にあるような気がする。
 柔らかで肉おき豊かな下腹に重ね、動かずにいることは、すこし至福である。
 豊満な胸というものがある。
 滑らかで細いうなじもある。
 顔の側には微かに赤みを帯びた耳のかたちがある。
 動き始める前の僅かな時間、男は海鳴りを聴いたような錯覚に陥る。
 ばかね。
 

赤い虫

 
    赤い虫。
 
 
 
■ カーテンのところに丸い虫がとまっている。
 小さな斑点があって、テントウ虫であった。
 
 
 
■ 指で触ると、死んだフリをする。
 私と同じではないかと、可笑しかった。
 

ままよ

 
    ままよ。
 
 
 
■ 放浪をしたことがない。
 帰ってきたことがない。
 だからどうした、ということもない。
 
 
 
■ しくじることがある。
 致命的な失敗をすることもある。
 突然の怪我や、内側からの病というのもある。
 なるほど人生とはこういうものかと思うこともある。
 ままよ。
 

月を見上げる

 
    月を見上げる。
 
 
 
■ 非常に大雑把な言い方になるのだけれど、大人になるということは、ある種の哀しみを胸の中に隠すことだと思っている。
 襞々が徐々に増えてゆくことだと思っている。
 突き詰めてゆくと、結局そのひとの生き方の問題になってくるのだが、それが生理的な感覚に裏打ちされたものでなければ、どうも私は信じることができないような、そんな思い上がった気分になっている。
 

イフ・ユゥ・ウェント・アウェイ

 
    イフ・ユゥ・ウェント・アウェイ。
 
 
 
■ 感傷に効用があるとすれば、それは対象との距離をすこし縮めることだと思う。
 だが、ひとりよがりの縮め方では困る。
 そこにはすこし、申し訳なさのようなものがあっても良いと思う。
 もし私が女だったら、属性もなく、ひとりで立っている男の肩先に惚れるだろう。
 

ジャンゴ

 
    ジャンゴ。
 
 
 
■ 二十の頃、乏しい財布の中からジャンゴのレコードを買った。
 ジャンゴ・ラインハルトというジプシーのギター引きで、ステファン・グラペリというバイオリニストとコンビを組んでいた。
「マイナー・スィング」
「ジャンゴロジー」
 雨の夜の東名を、懐かしい女に会うために車を飛ばしているような按配の音だった。
 車は丸目のライトである。
 シビエかな。
 
 
 
■ 覚えている。
 ヘルメットを抱え、革ジャン姿の私に、レコード屋の女性が、
「ジャンゴが好きなんですか」
 と聞いた。
 二十の私には、すこし年上の化粧がまぶしかった。
 

寝技

 
    寝技。
 
 
 
■ 不美人に手をだすものではない。
 女性と雑魚寝をするものでもない。
「一緒に居たいだけなの」
 と、言われて喜んでいてはイケナイ。
 ムゴーイ目にあいまっせ。
 

手口

 
    手口。
 
 
 
■ 夏になるとジン・ベースの酒を飲む。
 背の高いグラスに氷を入れ、ソーダかトニックで割るだけである。
 ライムがあるといいのだけれど、高いので何時もはない。
 夏が若い頃、その夕刻、窓を開け港の方角を眺めている。
 埋め立てられていて、それは運河と見分けがつかない。
 
 
 
■ 相手の気を引くにはいろいろなやり方があって、その人の人柄が図らずも滲み出るものだ。
 回りくどいやりかたを好むひともいる。
 まっすぐに、おまんこしたいという奴もいる。
 相手に合わせて。その時の状況にあわせて。
 変化球を投げてみたりする。
 が、相手の力量と、距離の測定を誤るとたいていは旨くゆかない。
 手口が読まれる。
 ということになる。
 

サマー

 
    サマー。
 
 
 
■ ポロシャツを干した。
 ハンガーに通し、窓の側に掛けた。
 風が吹くとひらひらしている。
 煙草を吸いながら眺めていると、昔の恋のことを思った。
 

昭和通り

 
    昭和通り。
 
 
 
■ たまに空いていることがある。
 その時には、80キロ程にもなる。
 薄く窓を開けていると、罅の入ったコンクリの柱がひゅんひゅんと音を立てる。
 もぐりながら浮き上がり、そうして左に曲がるとタワーが見えてくる。
 西暦で、昭和は幾つまでだっただろう。
 

カーディガン

 
    カーディガン。
 
 
 
■ 綿のそれを羽織った。
 すこし麻が入っているのかも知れない。
 オフィスの冷房では、首からうしろが硬くなってゆく。
 音のしない雨が、開かない窓から下界へと流れる。
 六月なのだ。
 

ハード・ボイルド

 
    ハード・ボイルド。
 
 
 
■ 随分前、どしゃぶりの夜、高速に乗った。
 料金所で手を伸ばし、
「酷い雨だね」
 と言うと、
「俺のせいじゃないよ」
 と返事された。
 そういう老人に、なってみたいと時々はおもう。