不感帯 8.
 
 
 
■ 大江健三郎氏が編集した「伊丹万作エッセイ集」(筑摩書房:2010)には、その文が書かれた日付が載っていた。その後の検証で追加されたものだと理解すると、例の「戦争責任者の問題」は昭和21年4月28日に脱稿されたことになっている。
 あの緻密で周到な全文を眺めれば分かるように、一日で一気に書けるような代物ではない。一定の準備期間があった筈である。
 その期間がどれくらいだったか、知る由もないが、日付が4月28日というところだけは覚えておいてもいいかと思っている。
 

 
■ というのは、昭和21年4月28日、全映を母体とした映画・演劇の組合の産業別単一組織として「日本映画演劇労働組合」(日映演)が結成されたからである。
 いわゆる「東宝争議」の幕開けであった。
 日映演の組織構成員約18000人のうち、東宝は5500人と多数を占め、松竹(2740名)、大映(1000名)、日映(400名)と続く(1947:時事通信社調べ)。
 これによって各社の組合は支部へ、各部門は分会へと組織替えが行われていった。この Industrial Union 「日映演」は、当時の共産党指導部の影響を色濃く受けていた。時の共産党書記長は18年獄中にあった徳田球一である。
 偶然かどうか、この日付を伊丹が記したというところに、ある種政治的意図を想像することも可能かもしれない。
 それが何だったのか、今となっては不分明ではあるけれども。
 
 
 
■ 前述のエッセイ集には、中野重治の短文が収められていた。
 中野重治は転向論でも度々名前のあがる方である。「村の家」「むらぎも」など、それを軸にすえた作品を書いている。
 しかし続く大江健三郎氏の解説は少なからず私を失望させていた。
 演劇の世界では、俳優の葬儀の際に配られる書籍などのことを「饅頭本」と呼ぶならわしがあるそうだが、配偶者の父のことを客観的に語るのは相当に困難な話だろう。
 大江氏は伊丹を「モラリスト」と評する。
 この表現は別のどなたかによって、マッカーシズムに抗したリリアン・ヘルマンに対しても使われていたが、時には定義の定かではない情緒的修辞に流れる怖れもあるのである。