渡兵団補充要員。
 
 
 
■ 召集された時にいくつだったかというのは、時に決定的な意味を持っている。
 大岡さんは35歳。既に妻子はある。会社員としての生活も数年経験していた。 35歳といえば老兵とまではいかず、語学ができるだろうということで通信「暗号」の部署に配属された。
 時に昭和19年3月、ガタルカナルの敗戦が確定し「転進」という造語が一般に流布された後のことである。
 阿川弘之さんや梅崎春生さんなども、暗号手である。
 その属性が後に俘虜になった際も役立ち、収容所の中ではやや待遇が良かったこともあると作品の中で記されていた。
 

 
■ クリミア戦争における実際の戦場と、背後の議会での政治的やり取りとを仔細に分析した「露土戦争」は、ロンドン時代のマルクスが「ヘラルド・トリビューン」に連載していたものである。戦争という題が付いていたが故か、発禁を免れていた。この本が自分の戦争観の基礎になっていると大岡さんは言われている。
 この戦争は負ける。自分は確実に死ぬのだということが理論的に分かっていても、現実の前には何の役にも立たない。
 門司からの船は7月の頭、バシー海峡には米潜水艦がうようよしていて、辿りつけるかどうかは、ほとんど運頼みみたいなものだったという。
 
 
 
■ 当時のインテリ達がどう自分の死を納得、意味づけようとしたのか。
「きけ わだつみの声」という本があるけれども、心理的な綾のようなものがあって私はまだ手に取ることができないでいた。
 こちらが青年期をとうに過ぎている、ということもあるのかも知れない。
 手記を残せなかった更に多くの人達のことを、勝手に想像してしまうからかも知れない。映画も撮られてはいるけれど、これも観るのはつらい。
 新東宝の映画だったろうか「人間魚雷回天」など、どちらかと言えば娯楽に傾いた一連の作品群があったが、その会話や敬礼の仕方などが別の世界のようで、明らかに違う国だったのだな、と今更ながらに感じたことを覚えている。
 軍の経験者が実際に演じていたこともあるだろう。体格も、風貌さえも現代の私たちとは似てどこか異なっているのである。
 総じて、今の感覚や基準で計ろうとすると視えてこないものはある。
 些細だけれども、最も肝心なことが零れ落ちてしまう。