震災から戦争へ。
 
 
 
■ 大岡さんは1909(明治42)年生まれである。
 1923(大正12)年、関東大震災の時に14歳。
 前掲「戦争」も、渋谷に自警団ができて当時中学生だった大岡少年が参加させられた話から始まっている。
「バビブベボ」といってみろ。
 なんで俺がそんなことを言わなきゃならないんだ。
「バ」がいえないから「パピプペポ」になるはずだ。
「この人は、ぼくの先生だ」
 大岡少年は、知っている小学校の先生を庇った記憶を語っていた。
 大人ってのは馬鹿なことをやるもんだなと。
 

 
■ 太平洋戦争勃発。ミンドロ島。俘虜体験。
 一連の小説を読んだことのある方なら、あの話かと思い至るのだが、語り口がどこかべらんめぇで、銃後の文学運動みたいなところに話が及んでいく。
 河上徹太郎や今日出海などが「文学報告会」を組織する。
 文士の国策協力である。愛国百人一首などを、真剣な顔つきで選ばなければならない。
 こちとらいい年なんだから、馬鹿らしくてやってられるか、と大岡さんはやや距離を置いていく訳だが、遠ざかったつもりでいても結局は文学の世界から足を洗えなかったというのが、戦後に至るまでの軌跡だったという気がしないでもない。
「俘虜記」では食えず、「武蔵野夫人」を出してようやくというところ。
 暇にまかせ、推理小説はひとやま読んでいたというところ。