鉄門海。
 
 
 
■ 先の緑坂、この怪談の原型になっているのは、湯殿山麓にある寺の「鉄門海上人」だろうか。
 寺の名前はここでは明記しないことにしておく。
 松本昭さんの「日本のミイラ仏」(臨川選書:1993)によれば、鉄門海上は寛政頃の人。
 寺の伝承によれば、本名を砂田鉄といい鶴岡、青龍寺川の人足だったという。それが赤川遊郭の女郎とのことで武士と喧嘩、これを殴り殺して当該寺に逃げ込み、第69世の寛能和尚に助けられた。時に鉄は25歳。これが縁で一世行人を志願する。
 
 
 
■ 寛政9(1797)年、鉄が仙人沢で修業中のある日、昔馴染んだ赤川の女郎がたずねてきて、夫婦になってくれとかき口説く。
 暫く考えていた鉄青年は姿を消し、女に包みを渡して「俺をあきらめろ」と言った。中には男のそのモノが切り取られて入っていた。
 女はそれをかき抱き、泣く泣く山を降りたが、以後は沢山の客がついて大繁盛。
 女郎仲間に是非その一物を貸してくれと頼まれ、モノは転々としたが、今はそれ自体干物になって、何故だか分からないが鉄門海上人の弟子であるところの鉄竜海上人の宝前に祭られているという。
 別の寺に流れついたという訳である。
 
 
 
■ 切り取られたものは、先の怪談にあるようにそれであった。
 昭和35年7月、「出羽三山ミイラ学術調査団」、小片保博士(当時新潟大学医学部長)らの鑑定によれば血液型はB。鉄門海上人のそれと同一だったがゆえ、恐らくは実話だろうとの判定が下ったという。
 現在なら血液型だけで推定されるかどうか、さまざまに含みもあろうが、それはそれである。