冬の果て 2.
 
 
 
■ やっこが即身仏にされるという設定は、もちろん文学的創作である。
 講に類した集まりの中で「おはぐろ」を施した「ばさま」の噂話として描かれていた。
 作品が世間に知られるようになった後、この辺りの描写は様々に関係する周囲の人達の不満の種ともなったという。
 それを踏まえたものか、サンデー毎日の昭和54年7月1日号で山本茂氏が「物語の女」と題して取材を行っていた。
 今それは「森敦資料館」でWeb上に公開されている。
 
 
 
■「やっこでも往生すれば立派に仏になる、ということをいいたかった」
 前述山本茂氏の記事の中で、森敦さんはそのように関係者に言われたとされる。
 親鸞の悪人正機説を思い出させるものだが、この辺りの信仰の襞には踏み込まないでおこう。
 いっぽう、即身仏という死の世界の対比物として魅力的というよりも直裁には肉感的な寡婦の存在が「月山」の中では描かれていた。
 処女ではなく、成熟した年齢の女性である。
 仏の形に縛られ煙に燻されていたというばさまの話のすぐ後、敷きっ放しになっている主人公の布団の上に酔いつぶれている女の描写が続く。
 
「姉さんかぶりの手拭いはたたんで枕元に置いてあるが、白い項(うなじ)にはひっつめ髪の後れ毛が誘うように乱れている」(「月山」63頁)
 
 当たり前のことだが、口に出して誘う女はいない。
 酒とともに歌が入る。
 
「隣のあねちゃのすり鉢借りて
泡の出るほどすってみてえ」(同70頁)