野暮すれすれ。
 
 
 
■ パーソナル・ブランディングという言葉がある。
 そうしたものに些か関係のある立場からすると、最終的には持っているものの総体がゆっくりと透けて見えてしまうものだ、という気がしている。
 ほんのちょっとした差配なのだ。
 例えばジムへ通っていること。自宅で料理をする頻度。どこで何を食べたとか誰に会ったとか。
 SNSで若い頃の写真を並べたり、関わった仕事を年表にしたり、そういった方面の方ではない筈なのだががんばる。
 入会しないと見えなかったりすることもあるので、クローンで公式サイトを作ったりする。
 
 
 
■ 長い眼で見ていくと、逆効果ではないかという気がしていた。
 これは個人的な感性である。
 トルーマン・カポーティの葬儀にウォーホールは参列しなかった。