60年安保とつげ忠男。 
 
 
 
■ というテーマで、北冬書房の権藤さんが話したとお聞きした。
 かつて権藤さんにはYOMINETに原稿を寄稿していただいたことがある。
 電話で話させていただいたこともあったのだが、その頃私は不勉強で、フムフムまだ修行が足りんなチミ、という按配で年下の私に参考文献をいくつも教えてくれた。
 Deepな漫画の世界である。その節はありがとうございました。 
 
 
 
■ 権藤さんは「ガロ」におられた方である。
 いた方というのは多岐に渡るが、もっとも濃かった時代のガロ。
 ということで良いのだと思う。長井さんの片腕格である。 
 
 
 
■ 60年安保というものがあり、例えば日活の裕次郎映画にもその描写が風俗として取り上げられたりしていた頃、街の大多数はドブ板だった。
 集団就職の列車が上野につく。
 ちょっとした住宅には勝手口というものがあり、お手伝いさんや御用聞きがいて、いわゆる中産階級というものが誰の目にもはっきりしていた時代、と書いてしまうと零れるものもあるだろう。
 女子学生がデモの最中に死亡して大騒ぎになったというが、彼女は名実ともにお穣さんだったのである。
 血を売って生活するなどは別の世界のことだった。