三七 意味について
 
 
 
 
■ 昨年、水上警察の取り調べ室で、私は奥山から葉子は常用者ではないと聞かされた。奥山は遠慮がちにそれを言う。
 覚醒剤は七二時間でほとんど体外に排出されるが、髪の毛が二十本程あれば、半年から数年の間にわたる使用歴が判明する。これは一九九○年、厚生省研究班によって開発された方法でガスクロマトグラフ質量分析装置を用いる。覚醒剤ばかりでなく、大麻やコカイン、モルヒネなどにも適用可能だと言われている。
 常用者でないにも関わらず、幻覚や幻聴がきこえたというのだから葉子には何か別の誘因要素があったのだろう。
 
 私は葉子の父親に会うつもりになっていた。
 葉子は自分の母親のことをほとんど話さなかった。嫌っている訳でもないようだが、葉子の母は藤沢に暮らしている筈である。家族のことに立ち入りたくはないが、私は北沢の言葉が気になっていた。北沢は葉子の父のことを知っている。
 何か核心のようなものがあるのだと思える。
 自分が寝た女の父親に平然と会える神経というのが私にはわからない。
 女親や姉妹であれば、何処か品定めをされているような風情があって、場合によってはつきあうこともあるだろう。しかし、父親となると話は別だ。
「明日、親父さんに会いにゆくよ」
「え、見舞いってこと」
「ああ、それもある」