四八 待機
 
 
 
 
■ 夕方になった。
 私はビルの最上階にあるオフィスのソファで横になっていた。
 吉川は自分の勤める商社の上海支社に顔を出してくると言って出かけていった。携帯電話を貸せというので渡した。
 
 一九八○年代半ばから、日本の大手新聞社は上海支局を再開するようになっていた。当初、事務所を借りるのにも苦労したらしいが、このところ新しいビルに移転し始めている。吉川は晃子の勤める通信社をも廻るつもりなのだろう。
 八○年代半ばと言えば〈上海宝山製鉄所〉の一期工事が完了した時期である。これは文革後の「洋躍進」政策による大規模な経済近代化計画であり、粗鋼年産七六○万トンという世界最大規模の製鉄プラントは日本企業が受注していた。
 八○年から日本は、中国に対し膨大な政府開発援助金ODAを供与している。低利・長期の円借款は、十年余りで累計七四○○億円にもなっていた。中国の貨幣価値に換算するととてつもない金額であると言えた。
 
 中国にとって日本は最大の援助国になっている。どこにきても横柄な吉川の態度もわからないではなかった。
 最上階のオフィスの窓からは電視塔がみえた。銀色に輝いている。西日を浴びて次第に色がついてゆく。そのまま眺めていると空が暗くなり、自動的にオフィスの照明がついた。
 黒いビルの四隅に赤いランプが点滅するようになった。
 私はベレッタを取り出してみた。右手で持っていると確かに重い。マガジンを取り出して確認すると静かに押し込んだ。