四〇 東方傀儡
 
 
 
 
■「わたしの父は上海で憲兵をしていた。もともとは軍医であったのだが、どういう訳か憲兵に志願し関東憲兵隊に配属された。当初は梅機関に所属し、後に阪田機関、松機関などでも勤務した。医者であり憲兵であることが特務上重宝がられたのだろう」
 葉子の父はそこまで言うと、グラスに残るブランデーを一口で干した。
「昭和十三年か、わたしは実家のある藤沢から母とともに上海に呼び寄せられた。日本租界地に与えられた屋敷で暮らすようになる。その年、南京に新国民政府が樹立され、汪兆銘が首班となった」
 
「汪兆銘」
「そうだ。君も名前くらいは聞いたことがあるだろう。一一月に近衛内閣は東亜新秩序の建設を声明した。国民党政府内の反蒋派であった汪兆銘は一二月重慶からハノイに脱出し、日本との和平交渉に入ったのだ」
 私は漠然と記憶をたぐることにした。
 日本から上海に渡る時、中国関係の書物を何冊か読んだ。
 広告の仕事というのはそうした地味な作業に支えられている。どのような商品であれ、背景となっているものに対し、一定の知識と姿勢のない処で言葉を紡ぐことは許されない時代に入りつつあった。少なくとも私はそう考えている。それは歴史に対しても同様なのだろう。