二 上海大厦
 
 
 
 
■ 船の中では日本円しか使えなかった。
 私は緑色の缶ビールを買い、特等船室に入った。
 躯の深いところに、なにもしたくない気分が残っていて、それは昨夜吸ったアヘンのせいだと思われた。
 始めは吐き気を伴うが、そのまま夢のように流されてゆき、こうしているだけでそれで良いのだという気分になる。
 昨夜、宿泊先の上海大厦(シャンハイ・ダーシア)、別名ブロードウェイマンションの一室で始めて試みたのだ。
「こうしないと匂いがこもるのよ」
 十四階の部屋の窓を葉子は無理に開けた。
 湿った風が入り込み、レースのカーテンが揺れる。
 革張りの古いトランクから、葉子は道具を一式取り出した。机の上に並べる。
 煙燈(イエントン)と呼ばれる細長いアルコールランプのようなものに火をつける。下には油壷がついていて胡麻油が入っている。どうして胡麻油を使うのか私は不思議に思った。
 
 葉子は、煙槍(イエンチャン)という長いキセルを取り出した。先端のスプーンのような雁首をタオルで拭いている。それから白いプラスチックの容器の蓋を廻して外し、膏薬のように湿ったアヘンを指ですくった。
「これが煙膏(イエンカオ)っていうの」
 アヘンを焔であぶり、粘度を持たせたものだ。雁首にこすりつける。
「本当に吸うつもりなの」
 葉子は私に尋ねた。眉をしかめている。
 私はそれには答えず、煙槍を受け取ると口にくわえた。
 煙燈の焔の上にそっとかざす。ジジッと樹脂が焦げるような音がして、湿った煙膏は白い煙をあげはじめた。
 煙膏は紫と茶色の斑になっている。次第にそれは混ざりあい、腐る前の果物のような匂いが漂ってくる。
 私は二口か三口吸い、椅子から立ち上がって窓の傍に立った。すこし胃がむかむかするようだ。躯は軽くも重くもない。
 
 窓からは外白渡橋、旧名ガーデンブリッジが間近にみえる。
 バンドには無数の灯りがついていて、黄浦公園にはまだ大勢の人影があった。