■ 昨年の事件の後、私は水上警察の四階にある取り調べ室で、数十人の写真をみせられていた。この中に北沢がいるかどうか、特定することが目的である。終いには端末のある部屋に招かれ、本庁のコンピューターから送られてくる画像データーを確認することになった。画面の下半分に氏名や所属、前科の有無などが記載されていて、担当官は「失礼」と言ってからその部分を紙で隠し、セロテープでとめ、私にはみえないようにしていた。
 まる一日付き合ったが北沢の顔は残っていない。
「公安は持ってないらしいな」
 そんなことを担当官が話していたことを覚えている。
 私は電話の男に言った。
「北沢が絡んでいる訳ですね」
「そう、奴は今上海にいるという情報が入っている。あなたもこの頃むこうに渡っているらしいし、葉子さんもそうですね」
「葉子のことも調べたのですか」
「北沢は彼女に接近をはかるだろう」
 私は、この男はさすがにプロだと思った。ひとの気持の微妙な部分を巧くついてくる。それも、こちらが自発的に動くように仕向ける。
「私はただの広告屋にすぎない」
 私は反論をしてみた。電話口で男が薄く笑う気配がする。暫くの間があり、初老の男は言う。
 
「しかし、あなたは横浜港に飛び込んだではないですか」
「警察に協力をしたつもりはないんだ」
「まあ、後日再度連絡をします。ぜひ協力をして戴きたい。では」
 二秒たって電話は切れた。指先でフックを押したのだろう、音がしなかった。
 私は正面にある端末の画面をみつめた。どう考えるべきか、すこし時間が必要なのかも知れない。キー・ボードのエンターキーを押し、プロンプトをひとつ増やす。ドアを開け、奥山のいる部屋に戻った。
 晃子と吉川が私をみる。私は奥山のベットの傍に寄った。彼の左手を握る。
「頼みます」
 奥山が言う。右手で、私に一枚のメモを渡そうとする。
 私は胸の中に奇妙な感情が沸いてくるのがわかった。メモを受け取る。
「生きていてよかった。今度酒を飲もう」
 そう言って彼の傍を離れた。入り口の方に歩き、ドアを開け外に出た。