「緑色の坂の道」vol.3585

 
    わたしはなんにもしたくない。
 
 
 
■ と書かれたTシャツがあるのだという。
 古く80年代バブルの時代には、そのようにして所属サークルのスタジャンを作ったと聞く。今でもガッコのタイ、あるいはネッカチーフをしている彼もいて、君は大丈夫かとおもうのだが本人には言わない。そのブレザー、いいね。
 年末に、手元にあった漫画を眺めると、そのように思春期とそれ以後の物語が並べられていて二日酔いの身体にはこたえた。
 格好いいということは、なんて格好わるいんだろう。
 という名台詞が確か早川義夫(ママ)さんだかにあって、ジャックスを年末に全部聴くと例えば社会復帰できなくなるものだが、それはそれ。
 気分は阿佐ヶ谷なのである。

「緑色の坂の道」vol.3584

 
    津軽海峡天城越え。
 
 
 
■ 北へ帰る豚の群れは誰も無口で 海鳴りだけを聴いていた
 
 と、こうした歌はどのように理解すればいいのだろう。
 ほぼ「飛べない豚は、ただの豚だ」とかいう第一次大戦からのマニアなアニメに出てくる、トレンチコートの世界ではないかとおもう。

「緑色の坂の道」vol.3583

 
    夜汽車ふたつ。
 
 
 
■ そういう日本語はないわよっ、とかいう声が聞こえてきそうである。
 携帯のアドに数人の妙齢からメールが入り、あれこれ個性があった。
 絵文字を入れて、最後に「しみじみ」と書いてきたトカゲのねーさんもいれば、今原宿にいるから暇してたらこないかしら、とか誘う落花生の産地のひともいた。
 彼女は面食いである。
 私は、寝癖を立てながら年末の雑事に追われ、そのくせ壊れかけたソファの上で柳田さんの「零戦も湯」じゃね「燃ゆ」を読んでいた。
 これは名作である。雑誌「丸」を30冊ほど読むとそれが理解される。いいんですけどね。
 
 
 
■ 今からは無理よ、化粧に時間がかかるから。
 とか返信して、気分は二丁目の年末であった。

「緑色の坂の道」vol.3582

 
    夜汽車ひとつ。
 
 
 
■ 私は一年をふりかえるのが好きではない。
 そんなものは、北や南へ向かう深夜の高速の上か、あるいは薄く黄ばんだ新幹線の喫煙車両でやればいいと思っている。
 この季節、大抵ひとりばかりはノートPCを持ち出して、その場でメールを書いたりブログを更新している男がいるものだ。
 青春後期というのは見苦しいものだな、と眺めているのだが、ひとつ置いた席で、もうじき定年だろう方がPCを鞄から取り出して、デジカメと接続しているのには驚いた。
 お姉さん、ビールください。

「緑色の坂の道」vol.3581

 
    明け方三ヶ月。
 
 
 
■ 冬の夜は長い。
 気がつくと既に暗く、それでいてうんざりするほど冷え込んだりもする。
 落葉というのか、ほんの一日二日で樹は裸になってしまう。
 それは木枯であったのだろう。
 仕事場の窓ガラスから何度も舞っているのがみえていた。
 
 
 
■ 視界に、細い鉛筆立てのような高層マンションが建っていて、まだほとんど人は入っていないようだった。中ほどに常夜灯のように灯りが点いている部屋があり、彼の地は細かなシャンデリアが付いているようだ。
 あのガラスというかアクリルの集まりをひとつひとつ拭いてゆくのは大変だ。
 若い頃、嵐山にあるお屋敷のそれを、掃除していたことを思い出す。
 泊めてもらって、庭なども掃いた。
 
 
 
■ 大きな仕事は大体終わっているのだが、独りで生きている訳ではないものだから、あれこれと雑用が入る。
 例えば複数台のPCの面倒をみたりしながら、分からない設定に6時間もかかった。
 いい加減こういう人生は終わりにしたいものだよなあ、と思いながら、買うべき部品のリストを作ったりしている。

「緑色の坂の道」vol.3580

 
    行方 3.
 
 
 
■ などとやっている訳であるが、彼女の胃袋には穴が小さく開いている。
 それはいかんじゃないか、と力説してもその後で医者にはゆかない。
 根性で治すというよりも、実は怖がりなのだろうと思っている。
 
 
 
■ 横浜に近い女子大の、下校時間にはBMWが並んだという丘の上で、郊外の低層マンションの奥様にはならずに酒を売る。
 翌日、私の携帯にはメールが何度か入った。
「兄貴ー、久しぶりに会えて嬉しかったっすよ」
 お前は水谷豊か、と70年代を知る者はおもった。

「緑色の坂の道」vol.3579

 
    行方 2.
 
 
 
■ 行方というのは、流れのことである。
「流れる」
 というのは、幸田文さんの名作であるが、そういった腰の据わった文章とか妙齢後半に会うことは少ない。
 何故かというと、おそらくはその父親が偏屈でなかったからだろうと思っている。
 
 
 
■ 仕事で関わったことのあるバーにいくことがあった。
 バーというのはつまり、ブルーラベルなどが置いてあるそれで、氷が丸かったりするところだと思っていただければ良い。窪みのない氷である。
 男たちは酒というよりもカウンターの中にいる男や女に会いにゆくのであって、半分は色気だが、それだけでもないところが酒の気配の不思議なところだった。
 
 
 
■ いたしかたなく、テッテ的に飲む。
 今夜は帰さないわよっ、という台詞は「さあ付き合え」というようなものであって、「水しかでねえよ」と言いながら歌舞伎町の界隈まで流れた。
 親のこと、故郷のこと。子供の頃に別れたままの父親のこと。
 おっかさん、身体の按配どうなんだい。
 それがさ、あたしってさ。
 しかし君って、日本酒嘗める時にトカゲとか言われない?
 ちょっとこっちいらっしゃい。

「緑色の坂の道」vol.3578

 
    行方。
 
 
 
■ 旅に出ます。
 捜さないでクダサイ。
 と、いうメッセージを残して、液晶ドットの中の犬だったか豚に似た動物が背を向ける。
 そういった玩具が世紀末の頃に流行った。
 結構な値段もしたのだが、それは何処へいったものか。
 
 
 
■ 私たちは年末であるが、しかもそれのどん詰まりでもあるが、まだ一本のグリフィンズを吸うだけの余裕は持ちたいと願っている。
 あるとき、かつて世話になった方に連名で日本酒を送った。
 それでは奥様に申し訳ないだろうと羊羹をつけたのだが、いただいた礼状には「こーいちさんらしいユーモア」とか書かれていて、なんとなく恐縮をしたという覚えもある。
 酒はですね、高島屋で半被を着ている方から説明を受けて選んだものです。
 と、ここで書いてもいたしかたがない。